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春着
はるぎ
作品ID50777
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2011-09-26 / 2014-09-16
長さの目安約 20 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

あら玉の春着きつれて醉ひつれて
 少年行と前がきがあつたと思ふ……こゝに拜借をしたのは、紅葉先生の俳句である。處が、その着つれてとある春着がおなじく先生の通帳を拜借によつて出來たのだから妙で、そこが話である。さきに秋冷相催し、次第に朝夕の寒さと成り、やがて暮が近づくと、横寺町の二階に日が當つて、座敷の明い、大火鉢の暖い、鐵瓶の湯の沸つた時を見計らつて、お弟子たちが順々、かく言ふそれがしも、もとよりで、襟垢、膝ぬけと言ふ布子連が畏まる。「先生、小清潔とまゐりませんでも、せめて縞柄のわかりますのを、新年は一枚と存じます……恐れ入りますが、お帳面を。」「また濱野屋か。」神樂坂には、他に布袋屋と言ふ――今もあらう――呉服屋があつたが、此の濱野屋の方の主人が、でつぷりと肥つて、莞爾々々して居て、布袋と言ふ呼稱があつた。
 が、太鼓腹を突出して、でれりとして、團扇で雛妓に煽がせて居るやうなのではない。片膚脱ぎで日置流の弓を引く。獅子寺の大弓場で先生と懇意だから、從つて弟子たちに帳面が利いた。たゞし信用がないから直接では不可いのである。「去年の暮のやつが盆を越して居るぢやないか。だらしなく飮みたがつてばかり居るからだ。」「は、今度と言ふ今度は……」「お株を言つてら。――此の暮には屹と入れなよ。」――その癖、ふいと立つて、「一所に來な。」で、通へ出て、右の濱野屋で、御自分、めい/\に似合ふやうにお見立て下すつたものであつた。
 此の春着で、元日あたり、大して醉ひもしないのだけれど、目つきと足もとだけは、ふら/\と四五人揃つて、神樂坂の通りをはしやいで歩行く。……若いのが威勢がいゝから、誰も(帳面)を着て居るとは知らない。いや、知つて居たかも知れない。道理で、そこらの地内や横町へ入つても、つきとほしの笄で、褄を取つて、羽子を突いて居るのが、聲も掛けはしなかつた。割前勘定。乃ち蕎麥屋だ。と言つても、松の内だ。もりにかけとは限らない。たとへば、小栗があたり芋をすゝり、柳川がはしらを撮み、徳田があんかけを食べる。お酌なきが故に、敢て世間は怨まない。が、各々その懷中に對して、憤懣不平勃々たるものがある。從つて氣焔が夥しい。
 此のありさまを、高い二階から先生が、
あら玉の春着きつれて醉ひつれて
 涙ぐましいまで、可懷い。
 牛込の方へは、隨分しばらく不沙汰をして居た。しばらくと言ふが幾年かに成る。このあひだ、水上さんに誘はれて、神樂坂の川鐵(鳥屋)へ、晩御飯を食べに出向いた。もう一人お連は、南榎町へ淺草から引越した万ちやんで、二人番町から歩行いて、その榎町へ寄つて連立つた。が、あの、田圃の大金と仲店のかねだを橋がかりで歩行いた人が、しかも當日の發起人だと言ふからをかしい。
 途中お納戸町邊の狹い道で、七八十尺切立ての白煉瓦に、崖を落ちる瀑のやうな龜裂が、枝を打つて、三條ばかり頂邊から…

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