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深川浅景
ふかがわせんけい
作品ID50780
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
初出「東京日日新聞 第一八二七五号~第一八二九六号」東京日日新聞社、1927(昭和2)年7月17日~8月7日
入力者門田裕志
校正者岡村和彦
公開 / 更新2018-02-02 / 2018-01-27
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 雨霽の梅雨空、曇つてはゐるが大分蒸し暑い。――日和癖で、何時ぱら/\と來ようも知れないから、案内者の同伴も、私も、各自蝙蝠傘……いはゆる洋傘とは名のれないのを――色の黒いのに、日もさゝないし、誰に憚るともなく、すぼめて杖につき、足駄で泥濘をこねてゐる。……
 いで、戰場に臨む時は、雜兵と雖も陣笠をいたゞく。峰入の山伏は貝を吹く。時節がら、槍、白馬といへば、モダンとかいふ女でも金剛杖がひと通り。……人生苟くも永代を渡つて、辰巳の風に吹かれようといふのに、足駄に蝙蝠傘は何事だ。
 何うした事か、今年は夏帽子が格安だつたから、麥稈だけは新しいのをとゝのへたが、さつと降つたら、さそくにふところへねぢ込まうし、風に取られては事だと……ちよつと意氣にはかぶれない。「吹きますよ。ご用心。」「心得た。」で、耳へがつしりとはめた、シテ、ワキ兩人。
 藍なり、紺なり、萬筋どころの單衣に、少々綿入の絽の羽織。紺と白たびで、ばしや/\とはねを上げながら、「それ又水たまりでござる。」「如何にも沼にて候。」と、鷺歩行に腰を捻つて行く。……といふのでは、深川見物も落着く處は大概知れてゐる。はま鍋、あをやぎの時節でなし、鰌汁は可恐しい、せい/″\門前あたりの蕎麥屋か、境内の團子屋で、雜煮のぬきで罎ごと正宗の燗であらう。從つて、洲崎だの、仲町だの、諸入費の懸かる場所へは、強ひて御案内申さないから、讀者は安心をなすつてよい。
 さて色氣拔きとなれば、何うだらう。(そばに置いてきぬことわりや夏羽織)と古俳句にもある。羽織をたゝんでふところへ突つ込んで、空ずねの尻端折が、一層薩張でよからうと思つたが、女房が産氣づいて産婆のとこへかけ出すのではない。今日は日日新聞社の社用で出て來た。お勤めがらに對しても、聊か取つくろはずばあるべからずと、胸のひもだけはきちんとしてゐて……暑いから時々だらける。……
「――旦那、どこへおいでなさるんで? は、ちよつとこたへたよ。」
 と私がいふと、同伴は蝙蝠傘のさきで爪皮を突きながら、
「――そこを眞直が福島橋で、そのさきが、お不動樣ですよ、と圓タクのがいひましたね。」
 今しがた、永代橋を渡つた處で、よしと扉を開けて、あの、人と車と梭を投げて織違ふ、さながら繁昌記の眞中へこぼれて出て、餘りその邊のかはりやうに、ぽかんとして立つた時であつた。「鯒や黒鯛のぴち/\はねる、夜店の立つ、……魚市の處は?」「あの、火の見の下、黒江町……」と同伴が指さしをする、その火の見が、下へ往來を泳がせて、すつと開いて、遠くなるやうに見えるまで、人あしは流れて、橋袂が廣い。
 私は、實は震災のあと、永代橋を渡つたのは、その日がはじめてだつたのである。二人の風恰好亦如件……で、運轉手が前途を案じてくれたのに無理はない。「いや、たゞ、ぶらつくので。」とばかり申し合はせた如く、麥稈をゆり直して…

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