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呉秀三先生
くれしゅうぞうせんせい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆 別巻43 名医」 作品社
1994(平成6)年9月25日
入力者門田裕志
校正者氷魚、多羅尾伴内
公開 / 更新2004-01-18 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 故正岡子規先生の『仰臥漫録』は、私の精神生活にはなくてかなわぬ書物の一つであった。
『仰臥漫録』の日々の筆録が明治三十四年九月に入って、「病人の息たえだえに秋の蚊帳」とか「病室に蚊帳の寒さや蚊の名残」とか、「糸瓜さへ仏になるぞ後るるな」などいうあわれな句が書いてあるようになって、その廿三日のくだりに、
九月廿三日。晴。寒暖計八十二度(午后三時) 未明ニ家人ヲ起シテ便通アリ。朝。ヌク飯三ワン。佃煮。ナラ漬。胡桃飴煮。便通及繃帯トリカヘ。腹猶張ル心持アリ。牛乳五合ココア入。小菓数個。午。堅魚ノサシミ。ミソ汁実ハ玉葱ト芋。粥三ワン。ナラ漬。佃煮。梨一ツ。葡萄四房。間食。牛乳五合ココア入。ココア湯。菓子パン小十数個。塩センベイ一、二枚。夕。焼鰮四尾。粥三ワン。フヂ豆。佃煮。ナラ漬。飴二切。巴里浅井氏ヨリ上ノ如キ手紙来ル。
 こう書いてあって、そのうえの方にワットマン紙の水彩絵ハガキが張りつけてある。川の水が緩く流れていて、黒い色の目金橋が架かっている。その橋が水に映っているところである。その向うに翠の濃い山が見えて、左手には何かポプラアのような木が五、六本かいてある。その余白に「ほととぎす著。昨日虚子君の消息を読み泣きました。この画はグレーといふ田舎の景色なり御病床の御慰みまで差上候。木魚生」とあり、それから「只今は帰りがけに巴里によりて遊居候その内に帰朝致久振にて御伺申すべく存候御左右その後いかが被為入候哉。三十四年八月十八呉秀三」とあり、その他に和田英作満谷国四郎氏も通信している。正岡先生はこの絵ハガキを『仰臥漫録』と簽した帳面に張りつけて朝な夕なにながめておられたのであった。私は計らずも故正岡先生と呉先生との精神上芸術上のこの交渉を見出して、不思議な因縁のつらなりに感動したのであったことを今想起する。
 呉先生の欧洲留学に出掛けられたときの諸名家の送別の詩歌帖を私は一度先生の御宅で拝見した。それは長風万里と題した帖であって、その中に正岡先生の自筆俳句がある。「瓜茄子命があらば三年目」というのである。正岡先生はこの時既に病の篤いのを知っておられた。三年の後呉先生の帰朝されて再たび面会された時、相互のその喜びその憂い誠に如何であったろうか想像に余りあることである。
 私がいまだ少年で神田淡路町の東京府開成中学校に通っているころである。多分その学校の四級生〈今の二年生〉ぐらいであっただろうか。学校の課程が済むと、小川町どおりから、神保町どおりを経て、九段近くまでの古本屋をのぞくのが楽しみで、日の暮れがたに浅草三筋町の家に帰るのであった。ある日小川町通の古本屋で『精神啓微』と題簽した書物を買って、めずらしそうにひろい読みしたことを今想起する。その古本屋は今は西洋鞄鋪(旅行用鞄製造販売)になり、その隣は薬湯(人参実母散薬湯稲川楼)になっている。『精神啓微』は呉先生がい…

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