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十和田の夏霧
とわだのなつぎり
作品ID50800
著者泉 鏡花 / 泉 鏡太郎
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鏡花全集 巻二十七」 岩波書店
1942(昭和17)年10月20日
入力者門田裕志
校正者川山隆
公開 / 更新2011-09-23 / 2014-09-16
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より


 彼處に、遙に、湖の只中なる一點のモーターは、日の光に、たゞ青瑪瑙の瓜の泛べる風情がある。また、行く船の、さながら白銀の猪の驅けるが如く見えたるも道理よ。水底には蒼龍のぬしを潛めて、大なる蠑[#挿絵]の影の、藻に亂るゝ、と聞くものを。現に其處を漕いだ我が友の語れるは、水深、實に一千二百尺といふとともに、青黒き水は漆と成つて、梶は辷り櫓は膠し、ねば/\と捲かるゝ心地して、船は其のまゝに人の生えた巖に化しさうで、もの凄かつた、とさへ言ふのである。私は休屋の宿の縁に――床は高く、座敷は廣し、襖は新しい――肘枕して視めて居た。草がくれの艫に、月見草の咲いた、苫掛船が、つい手の屆くばかりの處、白砂に上つて居て、やがて蟋蟀の閨と思はるゝのが、數百一群の赤蜻蛉の、羅の羽をすいと伸し、すつと舞ふにつれて、サ、サ、サと音が聞こえて、うつゝに蘆間の漣へ動いて行くやうである。苫を且つ覆うて、薄の穗も靡きつゝ、旅店の午は靜に、蝉も鳴かない。颯と風が吹いて來る、と、いまの天氣を消したやうに、忽ちかげつて、冷たい小雨が麻絲を亂して、其の苫に、斜にすら/\と降りかゝる。すぐ又、沖から晴れかゝる。時に、薄霧が、紙帳を伸べて、蜻蛉の色はちら/\と、錦葉の唄を描いた。八月六日の日と覺えて居る。むら雨を吹通した風に、大火鉢の貝殼灰――これは大降のあとの昨夜の泊りに、何となく寂しかつた――それが日ざかりにも寒かつた。
昭和五年十一月



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