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自由の真髄
じゆうのしんずい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「新渡戸稲造論集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年5月16日
初出「実業之日本 二二巻五号」実業之日本社、1919(大正8)年3月1日
入力者田中哲郎
校正者ゆうき
公開 / 更新2011-02-16 / 2014-09-21
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

内部の矩と外部の矩

 論語にある「己の欲するところに従えども矩を踰えず」の一句こそ実に自由の定義を能く述べて尽したものであると前号に説明し、然らば矩とは何なるかと反問し、これには大略内部と外部との二つに分つことが出来ようと述べた。外部の矩とは外部より来る要求、圧迫、強制等で、風俗習慣も一国の法律もその類であるが、しかしこの意味に於ける外部の矩も自分が心から心服して何の不平もなく甘んじてそれに従い、あるいはもしそういう風俗習慣なり法律なりが存しなかったなら、自分から進んで拵えたいと思うような矩であるならば、一見外部の矩の如くであるが、自己の意志の欲するところに合致する以上は、これを外部の矩とはいい難い。故に立憲国の法律の如きは国民自身が制定するのであるから、己の欲するところであって、その間に内外の区別を設けることは難い位である。
 しかし自分が設けた法律でもこれを破れば制裁は外より来る。議会で決した法律の制定に特別委員となって働いた議員ですらも、この法律の規定に反すれば制裁を遁れることは出来ない。警察なりその他外部の力によりて罪せらる。この意味に於ては法律もやはり外部の矩というてよいであろう。習慣もまた同じであろう。勿論風俗習慣に反したからとて一々罰せらるる訳ではない、青年は普通に紺絣を着ている、この風俗を破って真赤な服で登校してもこれを罰することは出来ぬ。しかし世間の人は彼を笑うて狂人と見做すであろう。友人は彼と共に歩くことを嫌うであろう。恐らく先生方も彼を遠ざけるであろう。シテ見れば法律の矩は踰えないにしても、世間一般で善良なる風俗と見做している矩を破れば、その罰として世間から排斥されることになる。こういう風に外部の矩を踰ゆると自ら外部の罰を受ける結果になる。ヨシ心の中で快とせぬことでも、悉く感服したことでなくとも、大概のことなら外部の矩を遵奉し、社会や国家と調和して行って、そこで始めて世の排斥も侮辱も圧迫も受けないで、心の欲するところに従い得るから、大概のことは外部の矩に譲歩してその償としていわゆる自由を享有するのである。
 然らば法律と風俗習慣とを守ってさえいれば自由であるかというに、それはやはり外部の自由だけであって、心底までその自由が徹底しているとはいわれない。言い換えれば国の法律なり風俗なりに対して全く服従出来ないことがあったなら、即ち心に服従することを欲しないことあるのにかかわらず、表向だけ唯々諾々としてこれを遵奉するは自ら欺くというもので、内部の矩を踰ゆるものではなかろうか。

内部の矩となるべき胸中のある者

 人は各自に思うところがある。一寸の虫にも五分の魂があるという、僕は寧ろ一寸の虫にも五寸の魂といいたい。魂は身体より遥に大なるものである。世の中で何の名もなく位もないいわゆる田夫野人であっても、その思うところ欲するところは王侯貴族に…

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