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愛は、力は土より
あいは、ちからはつちより
作品ID51136
著者中沢 臨川
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆100 命」 作品社
1991(平成3)年2月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-08-11 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 M市の一隅にある城山の小高い丘を今私は下りて来た。初夏の陽はもう落ち尽して、たゞその余光が嶮しい連山の頂を、その雪の峯を薄紫に照してゐた。眼の下の街々は僅かに全体の輪郭だけを残して、次第々々に灰色の空気につゝまれて行つた。
 妙に心の落着く夕暮であつた。私は徐かに足を運んだ。別に行き逢ふ人もないのに、殊更迂路をして、白い野薔薇のところ/″\咲いてゐる小径を択つて歩いた。『別に急ぐことはない。急いだつて同じことだ』
 かうした淋しいやうな、なつかしいやうな、一種絶望的な、或は落ちつき払つた考が私の心を私の歩みにつれて牽いた。次第に私の眼には涙が浮んだ。少年の頃によく経験したことのあると同じやうな純な敬仰の心がふと燃え上つた。その時自分の頭に『生命の故郷』といふ詞が一つの尊い啓示が何かのやうに閃いた。なつかしい詞だ。久しく忘れてゐた詞だ。少年の頃よく穉い詩を作つた折に屡々使つた詞だ。
 生命の故郷!
 然うだ。私がこの頃来求め苦み、尋ね喘ぎてゐた道の方向を示してくれるのはこの詞よりほかにない。

 私はこの三四年来人知れず苦んで来た。自分相当の懊悩を重ねて来た。
『おまへの苦みはおまへの自堕落の結果だ、自業自得だ』
 かういつて私は断えず自分の半生の放埒な径路を悔んだ。恐らく世間も朋友も親戚もさう私を視てくれたに違ひない。物質的に私は憐まれたに違ひない。そして責められたに違ひない、笑はれたに違ひない。私は十分にそれを自識してゐた。否、それよりも以前に、私は自分を自分で笑つた、憐んだ、悔んだ、そして責めた。
 この両三年来の私の生活は自ら鞭つ生活であつた。自分で自分を責めた挙句、私は自殺の心をさへ起した――或時は江州の片田舎で、或時は京都の旅舎で、また或時は九州の旅のはてで。私は死ぬべくあせり、同時に活きるべくあせつた。
 しかしこんな無益な告白が何になる? 人は私を薄志弱行の徒と笑ふであらう。ディレッタントとも嘲るであらう。
 が、徐かに意識するにつれて、その頃の私の懊悩には自堕落の結果以外、実世間との交渉以外、もつと深い、もつと根本的な、生命の推移につれて必然的に来るべき或物が存在したことを知ることができた。私の年齢は四十の坂にかかつてゐた。
 人が四十の坂を越す頃から、当然踏まねばならない一つの運命がある。それは一生のうちに二度とない大きな危機である。その時我等の肉体にも精神にも、徐々たる然し深甚な、犯すことのできない組織の変化が起る。我等の肉と心とは一度壊されて更に新しく築かれねばならぬ。それは神聖な生命苦である。物質的にはどうすることもできない運命の必然である。
 私のその頃の懊悩には、確かにかうした必然の分子が含まれてゐたことを、私はおぼろげながら知りそめた。私の苦みはやゝ温められた。私は半ば運命に身を任せ、半ばは自ら苦み上げねばならぬといふ覚悟と智…

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