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長江游記
ちょうこうゆうき |
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作品ID | 51216 |
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著者 | 芥川 竜之介 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「上海游記・江南游記」 講談社文芸文庫、講談社 2001(平成13)年10月10日 |
入力者 | 門田裕志 |
校正者 | 岡山勝美 |
公開 / 更新 | 2015-03-31 / 2015-02-28 |
長さの目安 | 約 16 ページ(500字/頁で計算) |
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前置き
これは三年前支那に遊び、長江を溯った時の紀行である。こう云う目まぐるしい世の中に、三年前の紀行なぞは誰にも興味を与えないかも知れない。が、人生を行旅とすれば、畢竟あらゆる追憶は数年前の紀行である。私の文章の愛読者諸君は「堀川保吉」に対するように、この「長江」の一篇にもちらりと目をやってくれないであろうか?
私は長江を溯った時、絶えず日本を懐しがっていた。しかし今は日本に、――炎暑の甚しい東京に汪洋たる長江を懐しがっている。長江を? ――いや、長江ばかりではない、蕪湖を、漢口を、廬山の松を、洞庭の波を懐しがっている。私の文章の愛読者諸君は「堀川保吉」に対するように、この私の追憶癖にもちらりと目をやってはくれないであろうか?
[#改ページ]
一 蕪湖
私は西村貞吉と一しょに蕪湖の往来を歩いていた。往来は此処も例の通り、日さえ当らない敷石道である。両側には銀楼だの酒桟だの、見慣れた看板がぶら下っているが、一月半も支那にいた今では、勿論珍しくも何ともない。おまけに一輪車の通る度に、きいきい心棒を軋ませるのは、頭痛さえしかねない騒々しさである。私は暗澹たる顔をしながら、何と西村に話しかけられても、好い加減な返事をするばかりだった。
西村は私を招く為に、何度も上海へ手紙を出している。殊に蕪湖へ着いた夜なぞはわざわざ迎えの小蒸気を出したり、歓迎の宴を催したり、いろいろ深切を尽してくれた。(しかもわたしの乗った鳳陽丸は浦口を発するのが遅かった為に、こう云う彼の心尽しも悉水泡に帰したのである。)のみならず彼の社宅たる唐家花園に落ち着いた後も、食事とか着物とか寝具とか、万事に気を配ってくれるのには、実際恐れ入るより外はなかった。して見ればこの東道の主人の前へも、二日間の蕪湖滞在は愉快に過さねばならぬ筈である。しかし私の紳士的礼譲も、蝉に似た西村の顔を見ると、忽何処かに消滅してしまう。これは西村の罪ではない。君僕の代りにお前おれを使う、我々の親みの罪である。さもなければ往来の真ん中に、尿をする豚と向い合った時も、あんなに不快を公表する事は、当分差控える気になったかも知れない。
「つまらない所だな、蕪湖と云うのは。――いや一蕪湖ばかりじゃないね。おれはもう支那には飽き厭きしてしまった。」
「お前は一体コシャマクレテいるからな。支那は性に合わないのかも知れない。」
西村は横文字は知っていても、日本語は甚未熟である。「こましゃくれる」を「コシャマクレル」、鶏冠を「トカサ」、懐を「フトロコ」、「がむしゃら」を「ガラムシャ」――その外日本語を間違える事は殆挙げて数えるのに堪えない。私は西村に日本語を教えにわざわざ渡来した次第でもないから、仏頂面をして見せたぎり、何とも答えず歩き続けた。
すると稍幅の広い往来に、女の写真を並べた家があった。その前に閑人が五六人、つら…