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蠢く者
うごめくもの
作品ID51218
著者葛西 善蔵
文字遣い旧字旧仮名
底本 「子をつれて」 岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年10月5日
初出「中央公論」1924(大正13)年4月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-06-09 / 2014-09-16
長さの目安約 29 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 父は一昨年の夏、六十五で、持病の脚氣で、死んだ。前の年義母に死なれて孤獨の身となり、急に家財を片附けて、年暮れに迫つて前觸れもなく出て來て、牛込の弟夫婦の家に居ることになつたのだ。その時分から父はかなり歩くのが難儀な樣子だつた。杖無しには一二町の道も骨が折れる風であつたが、自分等の眼には、一つは老衰も手傳つてゐるのだらうとも、思はれた。自分も時々鎌倉から出て來て、二三度も一緒に風呂に行つたことがあるが、父はいつもそれを非常に億劫がつた。「脚に力が無いので、身體が浮くやうで氣持がわるい」と、父は子供のやうに浴槽の縁に掴まりながら、頼りなげな表情をした。流し場を歩くのを危ぶながつて、私に腕を支へられながら、引きずられるやうにして、やうやくその萎びた細脛を運ぶことが出來た。
「こんなに瘠せてゐるやうで、これでやつぱし浮腫んでゐるんだよ」と、父は流し場で向脛を指で押して見せたりした。
「やつぱしすこし續けて藥を飮んで見るんですね」
「いや、わしの脚氣は持病だから、藥は效かない。それよりも、これから毎日すこしづつそこらを歩いて見ることにしよう。さうして自然に脚を達者にするんだな。そして通じさへついて居れば……」と、父はいつも服藥を退けた。
 父、弟夫婦、弟たちのところから小學校に通はせてある私の十四になる倅、父が來て二三日して産れた弟の長男――これだけの家族であつた。牛込の奧の低い谷のやうになつたごみ/\した町の狹い通りは、近所に大きな印刷會社があつて、そのため人通りも荷馬車などの往來も、かなり劇しかつた。さうした通りを、午前午後の時刻を計つては、日當りのいゝ玄關わきの二疊に寢かした赤んぼを根氣よくあやした後で、田舍から着て來た帽子のついた古外套に腰の曲つた身體をつゝみ、竹杖に縋つては、よち/\と軒下を傳ふやうに歩いてゐる父の姿に、偶然鎌倉から出て來た自分が出會ひ、思はず涙を呑むやうな氣持に打たれたことがあつた。自分には、父の氣持が解る氣がした。「父の散歩!」悲しい微笑の氣持で自分は斯う呟いたが、むしろ、それは傷ましい氣持のものだつた。父は孫たちのために生きたく思つてゐる――自分は心の中で父に感謝した。
 私と同じやうに父は酒飮みで、どんな病氣の場合でも酒を節するとか、養生に努めたりするとか云ふやうな性質の人ではなかつた。田舍にゐても生來の氣無精と脚の不自由から、滅多に外へは出なかつた父が、この東京のごみ/\した劇しい通りの街中を、脚を達者にするため散歩する――さうした父の心持は、生活に對する自分等の心持までも、いくらか明るい方に向けて呉れた。
 父は三度ほど、弟や私の倅といつしよに、私の五年越し部屋借りの、建長寺内の山の上の寺に來て、夜遲くまで酒を飮み合つた。
「此頃やはり、毎日少しづつでも歩くせゐか、脚の具合がたいへんいゝやうだ」と、最後に見えたのは三月下旬だつ…

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