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椎の若葉
しいのわかば
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「子をつれて」 岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年10月5日
初出「改造 第五巻第七号」1924(大正13)年7月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-06-09 / 2014-09-16
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 六月半ば、梅雨晴れの午前の光りを浴びてゐる椎の若葉の趣を、ありがたくしみじみと眺めやつた。鎌倉行き、賣る、賣り物――三題話し見たやうなこの頃の生活ぶりの間に、ふと、下宿の二階の窓から、他家のお屋敷の庭の椎の木なんだが實に美しく生々した感じの、光りを求め、光りを浴び、光りに戯れてゐるやうな若葉のおもむきは、自分の身の、殊にこのごろの弱りかけ間違ひだらけの生き方と較べて何と云ふ相違だらう。人間といふものは、人間の生活といふものは、もつと美しくある道理なんだと自分は信じてゐるし、それには違ひないんだから、今更に、草木の美しさを羨むなんて、餘程自分の生活に、自分の心持ちに不自然な醜さがあるのだと、此の朝つく/″\と身に沁みて考へられた。
 おせいの親父と義兄さんが見えて、おせいを引張つて歸つて行つたのは、たしか五月の三十日だと思ふ。その時も、大變なんでしたよ。僕にはもと/\掠奪の心はないんだ。人情としての不憫さはあるつもりなんだが、おせいを何うして見たところで僕の誇りとなる筈はない。それくらゐのことは、自分も最早四十近い年だ、いくらか世の中の鹽をなめて來てゐるつもりだから、それ程間違つた考へは持つてをらないつもりである。
 本能といふものゝ前には、ひとたまりもないのだと云はれゝば、それまでのことなんだが、何うにかなりはしないものだらうか。本能が人間を間違はすものなら、また人間を救つてくれる筈だと思ふ。椎の若葉に光りあれ、我が心にも光りあらしめよ。
 十二日に鎌倉へ行つて來ました。十三日は父の命日、來月の十三日は三周忌、鎌倉行きのことが新聞に出たのは十三日なのです。十二日の晩たしか九時いくらの汽車で鎌倉驛を發つて來たらしいのですが、鎌倉署の部長さんだと思ふ、名刺には巡査飯田榮安氏とありますが、この方に發車まで見送られ、何うしたか往復の切符の復りをなくし、またお金もなくし、飯田さんに汽車賃を借りて乘つて來たやうな譯なんだが、本郷の下宿へ歸つたのは多分十一時過ぎになつてゐたらうと思ふ。すると、電話が掛つて來た。下宿の女中さんなどは無論寢てゐたんだが、電話に出て、讀賣からだと取次いでくれた。滅多に讀賣新聞社なんかから電話があることはないんだが、何うしたのかと思つて電話に出て見ると、僕が鎌倉のおせいの家で散々亂暴を働き、仲裁に入つた男の[#挿絵]丸を蹴上げて氣絶さしたとか、云々の通信なんだがそれに間違ひはありませんか、一應お訊ねする次第です――と云つたやうな話を聞き、ひどく狼狽した譯です。斯うなつては辯解したところで仕方がないのだ。何分穩便のお取計らひを願ひたい、斯う云つて電話を切つたやうな譯でしたが、その翌朝の十三日は親父の命日の日だ。兎に角餘程親父には氣に入らないと見えて、とかく親父の日にお灸を据ゑられる。僕は何處までも小説のつもりで話してゐるのだから、いろ/\本當の名…

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