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ごりがん
ごりがん
作品ID51227
著者上司 小剣
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鱧の皮」 岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年11月5日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-06-21 / 2014-09-16
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 先づごりがんといふ方言の説明からしなければならない。言葉の説明は、外國語でも日本語でも、まことに難儀なことで、其の言葉自身より外に、完全な説明はないのだ。言葉をもつて言葉を説明するといふほど愚かなことはない。言葉を説明するものは、言葉の發する音による以心傳心で、他のいろ/\の言葉を幾つ並べたとて、其の言葉を底の底まで透き通るほどに説明し得るものでない。しかし人間といふものがかうやつていろ/\の言葉を作り上げて、そいつを滑かに使つて來た根氣には驚く。根氣ではない自然だといふかも知れないが、自然の奧には根氣がある。如何に不完全な國語を有する人民でも、それで一通りの用が辨ずるまでに仕上げた根氣は大層なものだ。言語學といふ乾枯びたやうな學問の教ふるところは別として、たとへば日本語の柄杓といふ言葉を聞くと、それが如何にもあの液體を掬ふ長い柄の附いた器物のやうに思はれるし、箱と言へば直ぐにあの四角い容物を考へ出す。(圓いのもあるが)さういふ風に、柄杓と箱との名を取りかへて、「俺にはこれが柄杓で、これが箱ぢや」とごりがんを決め込んでも、世間には通用しない。それまでに言葉といふものゝ力を深く打ち込んだ根氣は大したものだ。どうせ人間の拵へた言葉と名稱とだもの、それをどツちへ取りかへたとて差支へはないのだが、大勢の人にそれを承知させるのが困難だ。柄杓が箱で、箱が柄杓で、火が水で、水が火であつても、一向差支へはないのだけれど、別に取りかへる必要もなければ、まア在り來りのまゝでやつて行かうといふことになる。
 それでも、言葉や文字の中には長い間にちよい/\間違つて了つて、鰒を河豚だと思ふやうな人も少しは出來たりしたが、それをまた訛言だの、方言だのと、物識り顏に、ごりがんをきめ込むこともない。鰒だと言つても、河豚だと名付けても、肝心の貝や魚は一向何も知らないでゐる。――と、こんなことを言ふものもまた一種のごりがんだ。
 別に言語學に楯を突いた譯でも何んでもない。ごりがんの説明を自然に捲き込んで置かうと思つて、これだけのことを書いてみたのだ。ごりがんとは先づ、駄々ツ兒六分に、變人二分に、高慢二分と、それだけをよく調合して出來上つたかみがたの方言である。「てきさん、どこそこで、ごりがんきめ込んだんやで」とか、「ごりがんでなア」といふのを聞き馴れてゐる人には迷惑であらうけれど、これだけのことは是非書いておかねばならぬ。

「ごりがん事三月十二日永劫の旅路に上りました。此段お知らせいたします。」といふ下手な字の葉書を受け取つたのは、三月十四日で、私はあゝあの老僧も到頭死んだかと、私は知人の訃報を得る度に感ずる痛ましさと寂しさとに打たれつゝ、また人生に對する思索を新たにして、ぼんやり其の葉書を卷いたり舒ばしたりしてゐた。
 それにしても、自分の父の死をば、ごりがん事なんぞと戲れて通知す…

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