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月夜の東大寺南大門
つきよのとうだいじなんだいもん
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆58 月」 作品社
1987(昭和62)年8月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-01-16 / 2014-09-21
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 夕方から空が晴れ上つて、夜は月が明るかつた。N君を訪ねるつもりでひとりブラ/\と公園のなかを歩いて行つたが、あの広い芝生の上には、人も見えず鹿も見えず、たゞ白白と月の光のみが輝いてゐた。
 南大門の大きい姿に驚異の目を見張つたのもこの宵であつた。ほの黒い二層の屋根が明るい空に喰ひ入つたやうに聳えてゐる下には、高い門柱の間から、月明に輝く朧ろな空間が、仕切られてゐるだけにまた特殊な大いさをもつて見えてゐる。それがいかにも門といふ感じにふさはしかつた。わたくしはあの高い屋根を見上げながら、今更のやうに「偉大な門」だと思つた。そこに自分がたゞひとりで小さい影を地上に印してゐることも強く意識に上つてきた。石段をのぼつて門柱に近づいて行く時には、例へば舞台へでも出てゐるやうな、一種あらたまつた、緊張した気分になつた。
 門の壇上に立つて大仏殿を望んだときには、また新しい驚きに襲はれた。大仏殿の屋根は空と同じ蒼い色で、たゞこゝろもち錆がある。それが朧ろに、空に融け入るやうに、ふうはりと浮んでゐる。幸にもあの醜い正面の明り取りは中門の蔭になつて見えなかつた。見えるのはたゞ異常に高く感ぜられる屋根の上部のみであつた。ひどく寸のつまつてゐる大棟も、この夜は気にならず、むしろその両端の鴟尾の、ほのかに、実にほのかに、淡い金色を放つてゐるのが、拝みたいほど有難く感じられた。その蒼と金との、互に融け去つても行きさうな淡い諧調は、月の光が作り出したものである。しかし月光の力をかりるにもせよ、とにかくこれほどの印象を与へ得る大仏殿は、やはり偉大なところがあるのだと思はずにゐられなかつた。その偉大性の根本は、空間的な大きさであるかも知れない。が空間的な大きさもまた芸術品にとつて有力な契機となり得るであらう。少くともそこに現はれた多量の人力は、一種の強さを印象せずにはゐないであらう。
 わたくしはそこに佇んで当初の東大寺伽藍を空想した。まづ南大門は、広漠とした空地を周囲に持たなくてはならぬ。今のやうに狭隘なところに立つてゐては、その大きさはほとんど殺されてゐると同様である。南大門の右方にある運動場からこの門を望んだ人は、或る距離を置いて見たときに現はれてくる異様な生気に気づいてゐるだらう。
 この門と中門との間は、一望坦々たる広場であつて、左と右とにおよそ三百二十尺の七重高塔が聳えてゐる。その大きさは一寸想像しにくいが、高さはまづ興福寺五重塔の二倍、法隆寺五重塔の三倍。面積もそれに従つて広く、少くとも法隆寺塔の十倍はなくてはならない。塔の周囲には四門のついた歩廊がめぐらされて居り、その歩廊内の面積は今の大仏殿よりも広かつたらしい。これらの高塔やそれを生かせるに十分な広場などを眼中に置くと、今はたゞ一の建物として孤立して聳えてゐる大仏殿が、もとは伽藍全体の一小部分に過ぎなかつたことも解つて…

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