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日を愛しむ
ひをいとしむ
作品ID51276
著者外村 繁
文字遣い新字新仮名
底本 「澪標・落日の光景」 講談社文芸文庫、講談社
1992(平成4年)6月10日
初出「群像」1961(昭和36)年1月
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2013-11-20 / 2014-09-16
長さの目安約 43 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 妻、素子が退院し、二ヵ月振りでわが家へ帰ったのは、四月中旬のことである。曇った日で、門前の吉野桜の花はすっかり散り落ち、枝には赤い萼が点々と残っている。素子は桜の梢の方へ目を遣ってから、門を入った。玄関では、満八十二になる、私の母が背を円くして、その妻を迎えた。私は運転手と自動車から荷物を運んだ。
 素子は乳癌にかかった。その上、発見が遅れたため、癌は腋下から頸部にまで転移してい、二度の手術と、放射線の治療を受けた。しかし放射線の照射量が人体にかけ得る限度に達したので、一まず退院が許されたまでである。素子の顔に格別喜色が浮かばないのも当然である。
 現在の医学では、癌に関する限り、全治ということを考えてはならないのかも知れない。先年、私も上顎腫瘍にかかり、入院して、放射線の治療を受けた。以来、既に二年以上になる。しかし未だに病院通いを止めることは許されない。妻もあの凄惨な癌病院から辛うじて逃げ帰ったが、漸く目前の危機を脱し得ただけである。あの恐しい奴は妻の体内で、暫く息を潜めているに過ぎないのかも知れぬ。いつまた暴れ出さないとも限らない。
 しかし私はやはり嬉しかった。今夜は妻が坐るべきところに、妻が坐っているのである。老母もいる。三人の子供も妻に呼ばれ、食卓についている。私が差し出したコップに、妻はビールを注ぎ、更に自分のコップにも注ごうとする。
「おや、ビールはいけないよ」
「ほんの、一杯だけ」
 気丈な妻も自分の退院をやはり祝おうとするのか。哀れである。
「じゃ、きっと一杯だけだよ」
 二人は乾杯する。乾いた喉に極めて快い。が、次ぎの瞬間、そんな行為がひどく馬鹿らしく思われた。不意に、激しい寂寥感が込み上げて来る。
 不思議である。この二月、妻の座に妻の姿のなくなった最初の夜、私はやはり突然、相似た感情に襲われ、子供達の去った、食卓の上にうつ伏した。私は既に先妻を亡くした経験者である。が、その感情は時に起伏しながらも、いつか消えた。或は消えたのではなく、寂然と鎮っていたのかも知れない。その感情が、酔いに乗じて、意外な新鮮さで突発したのである。しかし、妻への愛が、と言ってよい、私を思い返させた。茶の間の、妻の姿のない構図の中で、それ以来、私は私の姿を崩すようなことはなかった。
 が、久しくその姿のなかった妻の座に、妻の姿がある。妻は笑っている。時時、口を動かしている。その妻の姿には、絶えずあの私の感情が山霧のように纏わりながら流れて行く。突然、水を浴びせられたように、私は恐怖を感じる。その恐怖は、丁度、高所恐怖症の者が断崖に立たされた時のような恐怖に類している。全身は戦慄し、冷汗が噴き出る。
 いつかはなくなるはずのものが、ないのである。その寂寥感は酷しいが、恐怖はない。が、なくなるはずのものが、あるのである。私の恐怖はこの存在することの不安から発して…

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