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夜の赤坂
よるのあかさか |
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作品ID | 51289 |
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著者 | 国木田 独歩 Ⓦ |
文字遣い | 新字旧仮名 |
底本 |
「日本随筆紀行第七巻 東京(下)」 作品社 1986(昭和61)年12月10日 |
入力者 | 向山きよみ |
校正者 | noriko saito |
公開 / 更新 | 2010-10-14 / 2014-09-21 |
長さの目安 | 約 15 ページ(500字/頁で計算) |
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東京の夜の有様を話して呉れとの諸君のお望、可しい、話しましよう、然し僕は重に赤坂区に住んで居たから、赤坂区だけの、実地に見た処を話すことに致します。
先づ第一に叔母様などは東京を如何にか賑かな処と思つて、そろ/\と自分の眼で自分の景色を形つて居なさるだらうが、実地見ると必定その想像の違つて居たことに驚かれるだらうと思ふ。京にも田舎ありとはよく言つた諺で、赤坂は先づ京の田舎です。此田舎が東京には沢山にあるので、叔母様達の想像して居るやうな、画に書いてあるやうな処は東京十五区の中、幾ヶ所もないのであります。
其中にも赤坂はさみしい処で、下町、則ち京橋や日本橋に住んで居る者は、狐や狸の居る処と心得て居る位。実際又た狐狸の居さうな処がいくらもあるのです。
夜になると赤坂で、賑かな処と言ふべきは、たゞ田町、一木、新町、先づ此位で、あとは極く淋しい処ばかりです。
流石に田町附近は賑かです。殊に赤坂芸者と言つて、東京市中、数ヶ所の芸者の居処の一になつて居るから、夜になると、紅燈緑酒の有様が田町の家並に開かれるので、溜池の大通を歩くと、あの二階でも此の二階でも三絃、太鼓の花々しい響か、それとも爪弾とやら、乙に気取つた楽の音が洩れるのです。下町の方から景気よく車を駆つて溜池の広い通を来る紳士があると仮定なさい、道幅が二十間もある坦々たる道、右は溜池、左は家並、そして桜と柳が左右に並んで植込んである中を車は飛ぶのです。此車の轅の下ろされる処は、言はずもがなで、東京の今の紳士といはれる仲間の十の七八は皆な斯んなことを以て得意として居るのです。
或夜のことでした僕は八時頃、山王の山に散歩にゆくと其夜は月で、而も空に一片の雲なく、なまぬるい春風がそよいで何となく人の心をそゝるやうな、くすぐるやうな気持のする、うつとりした晩でした。溜池橋の上に立て見ると、葉桜の黒い影、夜露にきらめく月影、溜池の上に立籠めた狭霧、見上ぐれば真黒に繁つた山王台、皆な佳い眺めでした。僕は暫時く橋上に立て眺めて居ましたが、やがて橋を向へ渡ると、此処は麹町区、然し地勢からいふと赤坂に加はへても可いので、山王台は赤坂の者は皆な赤坂のものと思つて居ます、つまり山王台は赤坂の公園と言つても可いので、此処に散歩する者は大概赤坂区の、田町附近の者ばかりです。則ち僕も赤坂氷川町に住んで居ながら、常に此処に散歩にくるのであります。
神社に樹木の多いことは今更云ふまでもないが、山王台(日枝神社)は別して三抱も四抱もある大樹鬱として繁り、全山、日影を見る場処は少ないので、春夏秋の三季は此木下蔭を逍遙する者が少なからぬのです。併し夜! 夜は又これほど物寂しい場処は少なく、夏の熱い最中ならば知らぬこと、其他の季節に夜に入つて此山に登る者は決して普通の人ではない。
僕も夜は余り此山を散歩したことのないのが、其夜は月の景…