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嫁入り支度
よめいりじたく
作品ID51293
原題ПРИДАНОЕ
著者チェーホフ アントン
翻訳者神西 清
文字遣い新字新仮名
底本 「カシタンカ・ねむい 他七篇」 岩波文庫、岩波書店
2008(平成20)年5月16日
入力者米田
校正者小林繁雄
公開 / 更新2010-06-24 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 わたしは生涯に、たくさんの家を見てきた。大きいのも小さいのも、石造のも木造のも、古いのも新しいのも。がそのなかで、ある家のことが特にわたしの記憶に焼きついている。
 もっともそれは、家というより、まあ小屋に近い。ちっぽけで、平家建てで、窓が三つついていて、まるで頭巾をかぶったセムシの小さな婆さんそっくりだった。外廻りは白い漆喰ぬりで、瓦ぶきの屋根に剥げっちょろけの煙突を立てているその家は、現在の主人の祖父や曾祖父が植えこんだ桑やアカシヤやポプラの緑のなかに、すっぽり埋まっていた。緑にかくれて、その家は見えない。とはいえ、うっそうたる緑に包まれているからといっても、この家はやはり市街地の家に違いなかった。その家の広々した宅地は、おなじく広々した隣家の宅地と一列に並びあっていて、モスクワ通りの一部をなしていたのである。この通りを馬車で行く人はなく、通行人もたまにしかなかった。
 その家の鎧戸は、いつも閉まっている。住み手が光を欲しがらないからである。彼らには光がいらないのだ。窓にしても、ついぞ開かれたためしがない。住み手が新鮮な空気を好まないからである。しょっちゅう、桑やアカシヤやゴボウの繁みのなかで暮らしている人びとには、自然なんかどうでもいいのだ。自然の美を味わう能力は、別荘へやってくる人たちにだけ与えられたもので、ほかの連中ときたら、そんな美があるのやらないのやら、てんで知りもせずに暮らしているわけだ。自分がどっさり持っているものは、一向ありがたくないのが人間の常である。俗に「手にあるうちは大事でない」というが、それどころか、手にあるものは可愛くない、ではないか。その小さな家のぐるりは、まさに地上の楽園で、緑は深く、鳥が楽しげに啼きかわしているが、ひと足その家へはいってみれば、――ああ、なんたることか! 夏はむんむんして息ぐるしいし、冬はまた冬で、まるで蒸し風呂のような暑さ、それに炭の気がたちこめて、わびしく味気ない……。
 はじめて私がこの家を訪ねたのは、もうだいぶ前のことで、ちょっと用があったからだ。というのは、その家の主人であるチカマーソフ大佐から、その夫人や令嬢に宜しく伝えてくれと頼まれたのである。この最初の訪問のことを、わたしは実によく覚えている。忘れろと言われても忘れられないのだ。
 まあ考えてもごらんなさい。小柄でぶくぶくした四十がらみの婦人が、怖れと驚きをつきまぜたような顔つきで、控室から広間へはいってゆくこっちの顔をまじまじと見つめる。こっちは「よそ者」であり、お客であり、おまけに「若もの」と来ている。それだけでもう、相手を驚きと怖れの淵へ突きおとすには十分なのだ。こっちはクサリ鎌も、斧も、ピストルも、何ひとつ兇器をもっているわけではないし、愛想わらいをまで浮かべているのだが、それでもやはり強盗あつかいにされるのだ。
「あの、失礼でござ…

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