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続俳諧師
ぞくはいかいし
副題――文太郎の死――
ぶんたろうのし
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「俳諧師・續俳諧師」 岩波文庫、岩波書店
1952(昭和27)年8月25日
初出「國民新聞」1909(明治42)年1月~6月
入力者青空文庫
校正者酒井和郎
公開 / 更新2016-05-14 / 2016-03-04
長さの目安約 109 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 豫て手紙で言つて來て居つた春三郎の兄の佐治文太郎の上京が事實となつて現はれて來た。上野の停車場に文太郎を迎へに行つた春三郎は自分の兄が斯く迄に田舍者だとは思はなかつた。古風な綿ネルのシャツを著て大きな鞄を重さうに提げて人込みの中をうろ/\としてゐた。それから漸く春三郎を見つけて、
「おゝ春三郎か」と言つた人の善ささうな顏には嬉しさが包み切れなかつた。
「私持たう」と言つて春三郎が其鞄を受取らうとした時、
「なあにいゝよ」と言つて渡さうともしなかつた。文太郎は兄乍ら自分は春三郎より智慧も學問も劣つたものだと考へてゐて常に弟を尊敬して居た。弟に此重い鞄を持たすのは思ひも寄らぬと考へて手を振つた。それから二人で停車場を出た時、
「どうだ春三郎、己まだ晝飯を食はぬのだが、二人で暫くぶりに一緒に遣らうぢやないか」と言つて取附の安料理屋へ這入つた。それから、
「お前何か食ひ度いものはないか」とか、「さうか、よし/\お前が嗜なものなら食らう/\」とか言つて何でも春三郎のいふなりになつて文太郎は嬉しさうに盃をあげた。それから國許ではだん/\暮しが困難になつて多勢の子供は養ひ切れぬから愈[#挿絵]出京する事に決心したといふ事などを話した。少し醉うた頬には酒が上つてゐたが、がさ/\した光澤の無い皮膚には淋しい影が漂うて居た。
「お前の言つて來て呉れた下宿屋は至極思ひつきだと思ふ。もう今度は己も身を落してかゝるより外には道が無いと思ふのだが、國では何分思ひ切つた事は出來ん。どうしても上京することと決心したやうなわけだ。そこで下宿屋だが、相當の賣家とか貸家とかいふものはあるものだらうね」
 春三郎は時々盛春館の女將に聞いた事位の外に下宿屋に就て何の知識も無かつたのだが、愈[#挿絵]の場合には萬事女將に周旋して貰ふ事に豫々約束がしてあるので力強く返辭をした。
「そりや幾らでもあるものでせう。又極親切な或下宿屋の女將を私知つてゐますから」
「さうか、そりやあ何よりぢや。お前の學問の邪魔をしてはすまぬが、これからいろ/\世話にならにやならぬ」



 文太郎は芝に在る細君の親戚の家へ行つて泊つた。其翌日春三郎を猿樂町の山本の家へ訪ねて來た。
「私は春三郎の兄でございます」と文太郎はいかにも田舍者らしく丁寧に挨拶した。照ちやんは此が春三郎の兄さんかと少し意外らしく目を瞠つた。
「弟がいろ/\御世話になりまして」と文太郎はお霜婆さんに挨拶しながら不思議さうに照ちやんを見た。
「どう致しまして、手前方こそ佐治さんにはいろ/\お世話樣になりまして、此間此娘の病氣の時も一方ならぬ御厄介を掛けました」とお霜婆さんも照ちやんをふりかへつた。
「春三郎、暫く來なかつたので方角がわからなくて困る。お前間なら少し一諸に歩いて呉れぬか」と文太郎は照ちやんにも一應丁寧に挨拶した後春三郎に言つた。
「え…

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