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兄の声
あにのこえ
作品ID51501
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 13」 講談社
1977(昭和52)年11月10日
初出「子供の広場」1946(昭和21)年4月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者酒井裕二
公開 / 更新2018-06-09 / 2018-05-27
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 おかあさんは、ぼくに向かって、よくこういわれました。
「小さいときから、おまえのほうは、気が強かったけれど、にいさんはおとなしかった。まだおまえが、やっとあるける時分のこと、ものさしで、にいさんの頭をたたいたので、わたしがしかると、いいよ、武ちゃんは、小さいのだものといって、にいさんは、おこりはしなかった。ほんとうに、がまん強い子でした。」
 ぼくは、そうきくと、物心のつかない幼時のことだけれど、なんとなく、いじらしい兄のすがたが目に浮かんで、悲しくなるのです。
 兄が召集されてから、後のことでした。
 えんがわに、兄のはいていたくつがかわかしてありました。まだ落とし残されたどろがついています。朝晩、兄は、このくつをはいて、通勤もすれば、また会社の用事で、方々をあるきまわったのでした。ときどきは、映画館の前にも立てば、喫茶店へも立ちよったでありましょう。なにしろ、かけがえのくつを持たなかったから、かかとはへるにまかせて、いたんでいました。もっとも、一度、街頭で朝鮮人のくつなおしに裏皮をとりかえさせて、月給のほとんど全部を払わせられたことがあります。考えれば、このくつには、兄のふんできた生活の汗がにじんでいるのでした。形がいびつとなって、ところどころ穴があいているのも、心なしにながめることは、できません。
 兄のところへ、友だちが、たずねてくると、しぜんと生活の感想や、世間の様相が話にのぼりました。兄のこれらの意見も、このくつをはいて、あるくうちに得られた体験でありましょう。
 兄は、こういうのでした。
 正直で、しんせつで、謙遜な人というものは、たとえ、はじめてあった人でも、もうこれまでにいくたびもあったことがあるような、なつかしさをおぼえるものだ。
「あなたとはいつかどこかでお目にかかったことがありますね。」と、ききたくなることがある。そんなときは、しいて自制しながら、
「なんで、そんなことがあるものか。きちがいでないかぎり、だしぬけに聞かれるものではない。」と、自分をしかるのだ。
 また、こんなおかしなことを空想することもある。
「もしかすると、前世において、出あった人かもしれないぞ。」と。
「いや、まったく、ばかげきった話ですが、世の中に善良な人間ほど、相手を感激させるものは、ありません。」と、兄は、いうのでした。すると、兄の友だちは、
「そうですか。そういういい人と、どこで、おあいなされましたか。」と、かならず問うのであります。
 兄は、友だちに、
「わたしは、社用で、方々の会社や、工場を訪問します。そして、いく人となく情味のゆたかな人たちと出あいました。ところがふしぎに、それが門番とか、受付とか、地位の低い人々にかぎっていました。さもなければ、大衆食堂の前へならぶような人々であります。それらの人たちとは、顔を見たさいしょから、なんでも心のうちを、…

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