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風はささやく
かぜはささやく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 13」 講談社
1977(昭和52)年11月10日
初出「人民戦線」1946(昭和21)年5月号
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者酒井裕二
公開 / 更新2017-05-28 / 2017-04-19
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 高窓の障子の破れ穴に、風があたると、ブー、ブーといって、鳴りました。もう冬が近づいていたので、いつも空は暗かったのです。まだ幼年の彼は、この音をはるかの荒い北海をいく、汽船の笛とも聞きました。家から外へ飛び出して、独り往来に立っていると、風が、彼の耳もとへ、
「明日は、いいことがある。」と、ささやきました。
「そうだ、きっとお父さんが、明日帰っていらっしゃるのだ。」
 彼は、希望を持って、明るくその一日を過ごすのです。
 彼の生まれた町は、小さな狭い町でした。火の見やぐらの頂に、風車がついていて、風の方向を示すのであるが、西北から吹くときは、天気がつづいたのであります。空き車の上へ馬子が乗って、唄などうたい、浜の方へ帰る、ガラ、ガラという、轍の音が、だんだんかすかになると、ぼんやり立って、聞いている彼の耳もとへ、風は、
「明日は、いいことがある。」と、ささやくのでした。
 すると、急に彼の目は、喜びに燃えるのでした。
「そうだ、明日は、お客さまがあるのかもしれない。」
 まれに、彼の家へ珍しい客があって、おもしろい話をしてくれるのを、彼は、どんなにうれしく思ったでしょう。
 ある日、彼は、停車場で、美しい女の人を見ました。ようすつきから、この土地の人でなく、旅の人だということがわかりました。そして、いいしれぬやさしい顔は、かえって悲しみをさえ感じさせたのです。彼は、その人の顔を忘れることができませんでした。汽車が遠く去ってしまった後、かぼちゃの花の咲く圃に立ち、無限につづく電線の行方を見やりながら、自由に大空を飛んでいるつばめの身を、うらやんだことがありました。
 ちょうど、そのころ、他国から帰った、親類のおじさんがありました。一同は、この人のことを道楽者だと、よくいわなかったけれど、彼には、いつも思いやりのある言葉をかけてくれたし、怒った顔を見せなかったので、なんとなく慕わしく思われました。おじさんは、孤独なのが、さびしかったのでしょう、ときどきマンドリンなど鳴らして、独りで自分をなぐさめていました。このことを知ったときから、彼にも音楽が、なによりか好きなものとなったのです。
 彼の少年時代は、いつしか去りました。そして、小さな町をはなれて、大きな市へ移るころには、彼はもうりっぱに働きのできる若者でありました。けれど、心に芸術を忘れなかったのです。
 町の中を川が流れていた。橋の畔に食堂がありました。彼はこの家で友だちといっしょに酒を飲んだり、食事をしたのでした。和洋折衷のバラック式で、室内には、大きな鏡がかかっていました。その傍らには、幾つもびんの並んだ棚が置いてあった。酒と脂のにおいが、周囲の壁や、器物にしみついていて、汚れたガラス窓から射し込む光線が鈍る上に、たばこの煙で、いつも空気がどんよりとしていました。たとえ四季おりおりの花が、棚の上に活けて…

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