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雲と子守歌
くもとこもりうた |
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作品ID | 51554 |
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著者 | 小川 未明 Ⓦ |
文字遣い | 新字新仮名 |
底本 |
「定本小川未明童話全集 13」 講談社 1977(昭和52)年11月10日 |
初出 | 「新児童文化 第1冊」1946(昭和21)年8月 |
入力者 | 特定非営利活動法人はるかぜ |
校正者 | 酒井裕二 |
公開 / 更新 | 2017-08-21 / 2017-07-17 |
長さの目安 | 約 10 ページ(500字/頁で計算) |
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どんなに寒い日でも、健康な若い人たちは、家にじっとしていられず、なんらか楽しみの影を追うて、喜びに胸をふくらませ、往来を歩いています。こうした人たちの集まるところは、いつも笑い声のたえるときがなければ、口笛や、ジャズのひびきなどで、煮えくり返っています。しかし、路一筋町をはなれると、急に空き地が多くなるのが例でした。なかでも病院の建物の内は、この日とかぎらず、いつも寂然としていました。
どの病室にも、顔色の悪い患者が、ベッドの上に横たわったり、あるいは、すわったりして、さも怠屈そうに、やがて暮れかかろうとする、窓際の光線を希望なく見つめているのでした。
「あんた、いい顔色をしているのね。」
このとき、火の気のない廊下で、すれちがった一人の看護婦が、同じく白い服を着た友だちに、言葉をかけました。
「そう、そんなに赤いこと。外の冷たい風に当たってきたからよ。」
「町へいってきたの、うらやましいわ。私なんか、昨夜から休まないんですもの。」
「よくないの? 困ったわね。」
「まだ若い奥さんなのよ。お子さんが二人もあるんですって、ほんとうに、お気の毒よ。なおればいいが。」
「あんたも、疲れるでしょう。お大事に。」
そういって、二人は、たがいににっこり笑って別れました。病人につききりの看護婦は、手に氷袋をぶらさげていました。
健康の人の住む世界と、病人の住む世界と、もし二つの世界が別であるなら、それを包む空気、気分、色彩が、また異なっているでありましょう。そうすれば、これらの若い献身的な人々は、いったいどちらの世界に住むというべきであろうか。
ここは、病院の一室でありました。そこには、五つになる男の子が、ろっ骨カリエスにて、もう永らく入院していました。その子の看護には、真のお母さんが、あたりました。子供は、日増しにつのる病勢のために、手足はやせて、まったくの、骨と皮ばかりになって、見るさえ痛々しかったのでした。それだけでなく、ものにおびえるような目つきは、日に幾回となく、ゲリゾン注射や、ぶどう糖注射や、ときには輸血をもしなければならなかったので、そのたび苦痛を訴えて、泣き叫ぶ事実を語るのであります。子供の小さな肉体と可憐な魂は、病菌が、内部から侵蝕するのと、これを薬品で抗争する、外部からの刺激とで、ほとんど堪えきれなかったのであります。
しかしながら、こうした子供の体にも、またすこしの間は、平静なときがありました。それをたとえるなら、一時間に幾十回となく、貨車や、客車が往復するために、熱を発し、烈しく震動する線路でも、ある時間は、きわめてしんとして、冷たく白光りのする鋼鉄の面へ、無心に大空の色を映すといったような具合です。
ちょうど、子供の病室の窓から見える、青い空には、きざんだ色紙をちらしたように、白い雲、赤い雲、紫の雲が、思い思いの姿で、上になり、下…