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囚われたる現文壇
とらわれたるげんぶんだん
作品ID51765
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-20 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 いかなる主義と雖も現実から出発していないものはない。現実を有りのまゝの静止したもの、固定したものと見做すのが間違っている。現実はどうともすることの出来ない客観的の実在であると同時に、また極めて主観的な実在である。我々が懐く凡ゆる感情、例えば怒り、憎しみ、または愛にもせよ、凡ての感激、冒険といったようなものは、人生及び自然から生起してくる刺戟である。この人生及び自然の存在を措いて、現実はない筈である。それであるから現実に徹することは、自己の生活に徹するに外ならないのである。もし其処に似而非現実主義というものがあると仮定すれば、それは自己のない生活である。個性のない生活である。而してそうした生活から生れる所の芸術は、形式の芸術、模倣の芸術である。
 今の文壇が平凡だというのは、必ずしも作者が平凡を以て主義としているからではない。また現代の作家が斯くの如き感激に乏しい生活に人生の深い意義を見出そうとして、ものを書いているわけでもない。要するに、作者自身の生活に感激がないから、その作品が凡庸に堕するのである。私は現実というものがそんな平凡無味なものと信じないと共に、また如何に作の形式ばかりが変ったからとてそれが直ちに現実を超越したものだとも考えない。現実主義は言い換えれば人間主義である。人は一面、保守的であると同時に、またそれを破壊し行く冒険性を持っているものだ。本当の意味に於ける人間生活の歴史は、平和にしろ、革命にしろ、みな現実主義に立脚している。我々は未だ曾て現実に立脚しない仕事の成功した例を聞かない。例えば如何なる運動でも如何なる主義でも。
 多くの人心を魅してその中に惹き入れるところのものは、その主張なり傾向なりが深く現実に根ざしているからである。信念の在る処、信仰の存する処、悉くこれ現実に立脚していると言えよう。どんな破壊的な行為でも、またどんなに平凡に見える行為でも、それに信仰と信念とがあって、十分な自覚の上に起っていさえするものであったなら、それは立派な人間性の現われでありまた現実性を持ったものであると言って差支えない。文芸ばかりでなく、絵画に於てもそうであるが、たゞその形とか色とか、乃至は題材とか技巧とか、そういった外面的のものにはそれ自身に本当の感激を与える力はないものだ。我々が本当の感激をうけるのは、それらのものゝ背後に潜んでいる、作者自身の精神によるのである。
 本当の芸術は現在の生活から飛躍した生活を暗示するものでなくてはならない。卑近な眼界からヨリ遠い人間生活の視野を望ましめるものでなくてはならぬ。此の力を欠いているものは謂わゆる現実性を欠いた芸術である。現実性のある文芸のみが、民衆の文芸として生き得るであろう。此人生や自然はどんな人にも感激を与え慰藉を与えまた苦痛や悲嘆を与えている。そうして瞬時も人間にその姿の全体を掴ませない。然しその…

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