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人間否定か社会肯定か
にんげんひていかしゃかいこうていか
作品ID51778
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-23 / 2014-09-16
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私達は、この社会生活にまつわる不義な事実、不正な事柄、その他、人間相互の関係によって醸成されつゝある詐欺、利欲的闘争、殆んど枚挙にいとまない程の醜悪なる事実を見るにつけ、これに堪えない思いを抱くのであるが、それがために、果して人間そのものについて疑いを抱かないだろうか。
 知らぬ人間を容易に信じてはならないということは、一般の人々の習わしの如くになっている。それは、人間を信ずるの余り、思わぬ災害に逢着する事実から、お互に、妄りに信ずべからずとさえ思うに至ったのである。
 人間が、人間を信じてならないということは、正しいことだろうか。また、みだりに知らない人を信ずることができないという、それ等の事実は、この人生に於て、黙止してすむべきことだろうか。
 いま、多くの人々は、自己の周囲についてのみ、あまりにこだわり過ぎていまいか。そして、あまねく人間に対する考察に於て、また、同じく愛し合わなければならぬ筈のものを、忘れてしまっているのではあるまいか。
 自分達の生活――それは、実利的な、独善的な――たゞ、それが支障なく送られゝばそれでいいという考えから、広く人類について、また社会について、考える必要がないとでも思っているのではあるまいか。
 そういう人達にとっては、人間に対する、真の慈愛ということも、信義ということも欠けているのだ。
 しかし、若し、その人達が、人間についてほんとうに考えるなら、そして、人間を愛する心があるなら、現在、みんなが、人間に対して抱いているような、甚しく、人間それ自からの価値を侮蔑したような考えを有していることに堪えられなくなる筈だ。少くとも、深い疑いを有しなければならぬ筈だ。
 かくの如き疑いは、子供の姿を見て、一層切実なるものがあることを感ずる。
 子供は、どの子供も正直だ。そして、やさしみがあり、空想的であり、活々として、愉快であることに、少しも異りがない。
 大抵の子供は、こうした状態で小学校へ入るまでは、真に楽しい日を送るのである。金持の子供であろうと、また、貧乏人の子供であろうと選ぶところがないのだ。
 それが、学校へ入った時分から各の環境によって、異って来る。社会の造った生活というものを知るからだ。
 なぜ、こんな正しい、善良な、無邪気な子供が、こうしたよくない人間に変ってしまうのだろう? こゝに、疑いを抱かないものがあろうか。
 ほんとうに、みんなが、疑いをば、こゝに抱くべきなのだ。人間というものが、年を取ると、悪くなるとは、きまっているのでない。ます/\持っている、よいところを生長させることが当然として考えられなければならない筈なのだ。
 子供の純真な姿を見た者は、決して、この人間に対して、絶望をしないであろう。もし人間が救われないものなれば、誰か、人間に対して、理想と信条を有し得よう。誰か、人間の生活について、希望を…

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