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彼等流浪す
かれらるろうす
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-14 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 あてもなくさ迷い歩くというが、やはり、真実を求めているのだ。また美を求めているのだ。なぜなれば、人間は、この憧憬がなければ、生きていられないからだ。
 あわれなる流浪者よ、いったい、どこに、その真実が見出され、美が見出されるというのか? そして、いつになったら、汝の流浪の旅は終るというのか?
 人間が、この地上に現われた時より、同じく、憧憬は、生れた。南から北へ、北から南へと、彼等は、相呼びかわしながら、はて知られぬ旅へと上った。何ものを求めるのか、彼等自からにさえ分らないことであったろう。しかし、これを押しつめて言えば、真実を求めたのだ。もっと美しいものを求めたのだ。
 クロポトキンは、いう。
「人の心の中に、何かしらないものが住んでいる。そして、たえず、あらゆる人間に何をか訴へて[#「訴へて」はママ]いる。それは、即ち愛である」と。
 幾千年の過去に於てそうであった。恐らくまた、永久の未来に於て、変りのないことであろう。
 思うに、我等の芸術は、そこから生れた。又、我等の社会運動は、そこから生れたのである。そこには、幾何、流浪の旅に上った芸術家があったか知れない。そこには同志を求めて、追われ、迫害されて、尚お、真実に殉じた戦士があったか知れない。
 彼等は、この憧憬と情熱とのみが、芸術に於て、運動に於て、同じく現実に虐げられ、苦しみつゝある人間を救い得ると信じていた。こゝに、彼等のロマンチシズムがある。
 しかし、曾て、どこにも、正義の国というものは見出されなかった。正義のみの村落、もしくは、美のみの郷土というものは、探し出されなかった。たとえば、人間に共通した真理はある。理想はある。感情はある。けれど、それのみの世界というものは、現実に於てあり得ない。大衆といい、民衆といい、抽象的に、いかように人間を考えらるゝことはあっても、実際に於ける、大衆の生活、民衆の生活は、全く個別的のものであった。
 どこに行っても、人間は、みな自分と同じように、たえず、何ものかを求めている。そして、苦しんでいる。環境と戦っている。そして、人間生活の真相は、その個々的のものについて、深く認識されるより他には、分る筈がなかったのである。
 それが、また、正しいのであった。流浪者が失意に泣くのは、深く人間を悟った時である。人間はみないろ/\の形に於て、悩み苦しみ求めている。それは、曾て、抽象的に考えられたような、真実や、美は、そのまゝ何処にも存在するものでないと知ったがためである。
 流浪者程、自然をいつくしむものがないと、クロポトキンは言っている。なぜなら、自然のみが、どこに行っても、莞爾として、遊子を懐にいれて欺かないからだ。しかし、変らないというばかりでは、このことは説明されない。一脈故郷の空や、原野と、ながめの相通ずるものがあるがためである。
 初期のロマンチストを目し…

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