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童話を書く時の心
どうわをかくときのこころ
作品ID51811
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-20 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 自由性を多分に持つものは、芸術であります。こう書くべきものだとか、こう書かなければならぬとかいうことは定っていません。いま、私は、自分の書く時の態度について、語りたいと思います。
 かりに、書くかわりに、語るとして、童話について考えて見ます。私が、何か子供達に向ってお話をするとしたら、まず、それがどんな子供達であるかを知ろうとするでしょう。次に、いくつ位であるかを見ます。それによって話を選び、よく分るようにしたいがためです。
 子供の時分には、いかなる種類の話にも大抵興味を持つものです。空想し易く、ものを見るのに比較的無差別であり、何ものにも同情し易いからにもよるが、それにしても、いろいろな意味で、境遇に従って話の題材を選ぶことは自然であると考えられるからです。また、題材の如何が、子供達に与える興味に関係することも勿論であるが、より重要なものは、語る人の態度にあろうと思います。
 いかなる話が語られるにせよ、語る人の態度が真面目でなかったなら、子供の心を確実に掴むことはできません。従って、語る人と聴く者との心の接触から生ずる同化が大切であるのであります。
 真実というものが、いかに相手を真面目にさせるか、熱情というものが、いかに相手の心を打つか、こうした時に分るものです、それであるから、語る人の態度は、自から聴く人の態度を、改めることになるのであります。
「面白い話や、おかしい話や、また怖しい話をしたら、みんなだまってよく聞くじゃないか。だから、そういう話を選んで、子供達にきかしてやればいゝのだ」
 こういう説も出るでありましょう。もし、単に子供達に聴かせるということ、面白がらせるということが目的であるなら、まさにその通りでありましょう。
 私が、お話をしてきかせるというのは、そういう意味からでない。面白がらせるということも、願望の中にないことはないが、もっと、どうかいゝ人間になってもらいたいということが、お話をする第一目的であるのであります。
 多勢の子供のために、お話をする時は、子供という一般的の通性を観察して、それを基礎に語られますが、もし少数の場合であり、たびたび、繰返して話すことが出来る場合であったら、恐らく一人一人の性質を知ることができて、ある時は、その子供達の持つ欠点を正しく直さんがために、また足らざるものを補わんがために話の題材を選ぶこともあれば、その心持で語られるでありましょう。また、ある時は、その子供の持つ善いところを、ます/\成長し伸さんがために奨励の心をもって語られたでありましょう。そこに、語る人の真の愛が見出されるのであります。
 愛のなきところには、芸術もなければ、教育もないのであります。強制、強圧を排して、自治、自得に重きを置くはこのためです。
 その最もいゝ例は、おじいさんや、おばあさんが、毎日、毎夜同じお話を孫達に語ってき…

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