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名もなき草
なもなきくさ
作品ID51812
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-23 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 名も知らない草に咲く、一茎の花は、無条件に美しいものである。日の光りに照らされて、鮮紅に、心臓のごとく戦くのを見ても、また微風に吹かれて、羞らうごとく揺らぐのを見ても、かぎりない、美しさがその中に見出されるであろう。
 思うに、見出そうとすれば、美は、この地上のどんなところにも存在する。たゞ見る人が謙虚にして、それに対して考うるだけの至誠があれば足りるものだ。凡そ、そこには、子供と成人の区別すらないにちがいない。
 真に、美しいもの、また正しいものは、いつでも、無条件にそうあるのであって、それは、理窟などから、遙かに超越する。そして、直ちに、人間の感情に迫るのである。
 独り、それは、花の美ばかりでないだろう。たとえば、いゝ音にしてもそうだ。必ずしも、それは、高価な楽器たるを要しない。また、それを弾ずる人の名手たるを要しない。無心に子供の吹く笛のごときであってもいゝ。また、林に鳴る北風の唄でもいゝ。小鳥の啼声でもいゝ。時に、私達は、恍惚として、それに聞きとられることがある。そして、それは、また音楽について、教養あるがために、自然の声から、神秘を聞き取るという訳ではないのだ。
 たゞ、どこにでもあるであろう、いゝ音色は、同じく、無条件に、人間の魂を捕えずに置かないというにしか過ぎない。
 野蛮人は、殊に、音に対して、鋭敏な感覚を有している。いゝ音色に聞きとれている時には、背後から頸を斬られるのも知らずにいるとさえ言われている。
 美しいものや、正しいものは、常に、この地上の到るところに存在するであろう。しかし、これを感ずる人は、常に、どこにでもあるとはいわれない。なぜなら、その人はまた、謙虚にして、誠実であり、美や、正義に対して、正直に、それを受けいれることのできる人でなければならぬからだ。
 すべて、芸術といわれるものが、良心の結晶であるかぎり、かくのごとき普遍性を有するものである。そして、それを感ずる人は、又かくのごとき自由性に、置かれている。与うるにも、受けるにも、そこに何等の条件と理論とを必要としないのである。
 自然にあっても、芸術にあっても、いつでもこうして、美しいものや、正しいものは、人間の魂を清らかにする。そればかりでなく、現実から、遠いところへ彼等を、誘って行くものだ。一茎の花に、それだけの力があったら、真の詩人の情熱から、感激から、発生するそれ等の芸術にして、何ものかを心の上に残して行かない筈はない。こゝに、芸術の魅力があり、尊貴がある。
 即ち、純粋なる良心と、正義感の発生によって、描かれたる、希望の多い、明日の社会や、生活は、我等にとって、力強いユートピアでなくてなんであろう。
 我等は、これを信ずるがために、今日の苦しい戦を、戦いつゞけるのだ。
 どんなに、小さくとも、また、名がなくとも、純粋で、美しかったら、正しかったら、天地の間…

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