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貧乏線に終始して
びんぼうせんにしゅうしして
作品ID51814
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「芸術は生動す」 国文社
1982(昭和57)年3月30日
入力者Nana ohbe
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-23 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今も尚お、その境地から脱しないでいる私にあっては、『貧乏時代』と、言って、回顧する程のゆとりを心の上にも、また、実際の上にも持たないのでありますが、これまでに経験したことの中で、思い出さるゝ二三の場合について、記して見ます。
 何と言っても、はじめて、作家に志してから、苦しんだことは、独自の境地を行こうとする努力と、その作品を直に金に換えなければ、衣食することができなかったことです。文壇の大勢に、時としては、反抗したものを書き、それを売らなければ、ならぬということは、すでに其処に矛盾が存していたからです。
 少しの貯えもなく、家庭に欠乏を告げているにかゝわらず、机に向って、自分の理想を描こうとする――そこには、精神だけの飛躍が許されるとしても、直にペンを下に置いたと同時に、物質の欠乏から来る不安と悩みが感じられる。この二重の苦痛に悶々とした時代であります。
 自分の信ずるものを書き、それを金にしなければならぬ。そういう悲劇的な場合にあって、殆んど、狂熱的に、自己を鞭打ったものは、自分の意志より他にない。そして柔順で、献身的であった、妻の愛に救われたというより他に、何ものかありません。『彼は、其の日暮らしに、追われている』と、いう蔑視から、資本家や、編輯者等が、いまだ一介の無名の文筆家に対して、彼等の立場から、冷遇しなかったと何んで言えよう。況んや、私のように、逆境に立ち、尚お且つ反抗の態度に出て来た者を同情するより憎むのが寧ろ当然だったから。しかし、私は、真に自分を知ってくれた人でなければ、原稿を持って、頼みに行ったことがなかった。
 あの時代の文壇の状況と、その交って来たいろ/\の人々について、私は、いつか書いて見たいと思っているが、それはもっと私という人間が、冷静になって、私情で物を言わなくなった時でなければ、言うものでないと思っています。
 さて、その当時、売るに着物もなく、書物もなく、妻が指にはめていた指輪を抜き取らせて、私が売りに行ったことを覚えています。こうした、数々の場合に際会するたびに、深く頭に印象されたものは、貧民を相手とする商売の多くは、弱い者苛めをする吸血漢の寄り集りということでした。
 第一質屋がそれであります。合法的に店を張っているには相違ないけれど、苦しい中から、利子を収めて、さらに品物を受出すということが、すでにそうした境遇に於かれている者には、殆んど不可能のことでした。不意に、沢山の金がはいるようなことでもないかぎり、欠乏に悩んでいる者が、それを受け出すということは、永久にできないからでした。
 次に古物商というようなものです。何品によらず私達が困って売る時には、買った時分の価格の三分の一にもならぬこと。思うに、はじめから、それ程の価値のない品物であるか、さもなければ、品物に価値のあるにかゝわらず、売手の足許を見て、安く価切…

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