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ここに弟あり
ここにおとうとあり
作品ID51827
著者岸田 国士
文字遣い新字旧仮名
底本 「岸田國士全集4」 岩波書店
1990(平成2)年9月10日
初出「文藝春秋 第九年第一号」1931(昭和6)年1月1日
入力者kompass
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-04-23 / 2014-09-16
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

洪次郎
紅子
基一郎

東京市内のある裏通りで、玄関の二畳から奥の六畳へ是非とも茶の間を通つて行かねばならぬ不便な間取りの家。
座敷には瀬戸の丸火鉢が一つと、床の間にヴアイオリンのケースが置いてある。茶の間には粗未な鏡台。羽織を重ねたまゝの女の外出着が、だらしなく壁にかゝつてゐる。神棚の上に、麦藁帽子が仰向けにのつてゐることゝ、座敷と茶の間に跨つて、チヤブ台とも机ともつかぬものが、薬缶とインキ壺とを並べて載せたところとが、なんとなく気にかゝる。

冬の夕方である。

この家の主人洪次郎が、外套の襟を立てゝ、勢よく玄関から上つて来る。いきなり座敷にはいり、中腰で火鉢に手をかざす。


洪次郎  (勝手の方へ話しかけ)驚いたよ。何処へ行つてもみんな留守さ。梶山は昨夜出たまゝ帰らないつていふし、杉野は、親戚へお通夜に行つたといふし、浦田は、たつた今、和服と着かへて出たと云ふんだ。こいつは、大概、行く先がわかつてるんだが、人前だと、あいつ、妙に横平になりやがるから、話がしにくいよ。(話しかけてゐるつもりの相手が、一向返事もせず、姿を現はす様子もないので、そろそろ気がゝりになり、ちよつと、勝手の方をのぞいてみる)おい、ゐないのか。はゞかりか。え? そいぢや何処だ。(間)ゐないんだね。ゐないならゐないつて返事をしろ。(再び、もとの座に帰り、火鉢に手をかざす)なんだ、火がないのか。(諦めて起ち上り、押入の中から掛蒲団を出し、それにくるまつてごろりと横になるが、突然、頭をもたげ)おい、飯はどうするんだ、飯は……。(今度は、頭から蒲団をひつかぶり、そのまゝひつくり返る)

やがて、表の格子が開き、ソプラノまがひの流行歌が、湯上り女の気配を運んで、洪次郎の共同生活者、紅子がはひつて来る。

紅子  (電気をつけると、眼の前に、足の先だけ出して洪次郎が寝てゐる)どうしたの、あんた。何時帰つたの。酔つてるの。(間)酔つてないの。(間)眠てるの。(間)眠てないの。(間)返事をするの?(間)しないの……?
洪次郎  (返事をしない)
紅子  返事をしないのね。ようし……。覚えてらつしやい。(そのまゝ、鏡台の前にすわり、化粧をしはじめる)いゝこと。さういふ態度は、みつともなくつてよ。大人は大人らしくするもんよ。一と月ぐらゐ仕事がみつからないからつて、すぐ失業者の真似なんかしなくてもいゝのよ。もうあと一と月待つてみて、どうにもならないやうだつたら、あたしも働くつて云つてるぢやないの。(極めて爽やかな微笑を残し、勝手の方へはひる)
洪次郎  (のつそり起き上り、これも、勝手の方へ行く)
紅子の声  駄目よ、そんなとこに炭なんかありやしないわ。(間)火を起すんなら、七輪でして頂戴。今瓦斯は使ふんだから……。さ、どいた、どいた……。

やがて、七輪をあほぐ団扇の音。
紅子の唄ふ歌。
しばらくたつ…

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