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泡鳴五部作
ほうめいごぶさく
副題03 放浪
03 ほうろう
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「泡鳴五部作 下巻」 新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年7月25日
初出「放浪」東雲堂、1910(明治43)年7月
入力者富田晶子
校正者雪森
公開 / 更新2016-11-26 / 2016-09-09
長さの目安約 231 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 樺太で自分の力に餘る不慣れな事業をして、その着手前に友人どもから危ぶまれた通り、まんまと失敗し、殆ど文なしの身になつて、逃げるが如くこそ/\と北海道まで歸つて來た田村義雄だ。
 小樽直行の汽船へマオカから乘り込んだ時、義雄の知つてゐる料理屋の主人やおかみや、藝者も多く、艀で本船まで同乘してやつて來たのは來たが、それは大抵自分を見送つて呉れるのが主ではなく、二三名の鰊漁者、建網番屋の親かたを、「また來年もよろしく」といふ意味でなつけて置く爲めだ。
 渠とても、行つた初めは、料理店や藝者連にさう持てなかつたわけでもない。然し失敗の跡が見えて來るに從ひ、段々融通が利かなくなつて來たので、自分で自分の飛揚すべき羽がひを縮めてしまつたのである。よしんばまた、縮めてゐないにしたところで、政廳の方針までが鰊を人間以上に大事がり、人間はただそれを捕獲する機械に過ぎないかの樣に見爲してゐる樺太のことだから、番屋の親かた等がそこでの大名風を吹かせる勢ひには、とても對抗出來る筈のものではない。
 渠等が得意げに一等室や二等室へ這入つて行くのを見せつけられて、自分ばかりが三等船客でなければならなくなつた失敗は、如何に平氣でゐようとしても、思ひ出せば殘念でたまらなかつた。
 一等船室には、實際、三名の番屋が三ヶ所に陣取つてゐた。いづれも、それが自己の持つてゐる漁場から、マオカへ引きあげて來た時、例年の通り、負けず劣らずの豪遊を試みてゐたので、その時義雄も渠等と知り合ひになつた仲だ。北海道相撲の一行が來て三日間興行をした時なども、渠は渠等と組んで棧敷を買ひ切り、三日を通して大袈裟な見物に出かけ、夜は夜で、また相撲を料理屋に招いて徹宵の飮をやつた。
 その親かた等の一人は義雄の事業に來年から協同的補助を與へてもいいといふ申し出をしてゐた。義雄もそれが若し成り立てば、今年の事はたとへ損失が多くても、辛抱さへしてゐればいいからといふ考へである。その相談はどうせ小樽に着してからでなければ孰れとも定められない事情であつた。が、渠がふと三等室を出て、その人の室へ行つて見ると、その人は赤黒い戸張りの奧に腰かけて、そばに一人の女をひかへさしてゐる。
「これは失敬」と云つて、義雄が出ようとすると、
「いいのだよ、君も知つてるだらう」と引きとめ、その手で女の頸を押し出す。
 見ると、お仙と云つた藝者だ。つき出された顏が笑つてゐる。義雄は、出發の前夜も、その人に連れられて酒店へ行き、この女を招いて飮んだのだ。その夜ふたりは關係したか、どうかは知らないが、以前は確かに關係があつたらしい。よく聽いて見ると、かの女は丁度いいしほに乘つて、見送りにかこつけ、マオカを脱走し、旅費だけをこの番屋に出させたのだ。

 小樽へ着くと、直ぐ、お仙は獨りでどこかへ行つてしまつた。
 義雄は例の番屋の本宅、松田方へついて…

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