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買出し
かいだし
作品ID51971
著者永井 荷風
文字遣い新字旧仮名
底本 「ふるさと文学館 第一三巻 【千葉】」 ぎょうせい
1994(平成6)年11月15日
入力者H.YAM
校正者米田
公開 / 更新2011-03-10 / 2014-09-16
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 船橋と野田との間を往復してゐる総武鉄道の支線電車は、米や薩摩芋の買出しをする人より外にはあまり乗るものがないので、誰言ふとなく買出電車と呼ばれてゐる。車は大抵二三輛つながれてゐるが、窓には一枚の硝子もなく出入口の戸には古板が打付けてあるばかりなので、朽廃した貨車のやうにも見られる。板張の腰掛もあたり前の身なりをしてゐては腰のかけやうもないほど壊れたり汚れたりしてゐる。一日にわづか三四回。昼の中しか運転されないので、いつも雑沓する車内の光景は曇つた暗い日など、どれが荷物で、どれが人だか見分けのつかないほど暗淡としてゐる。
 この間中、利根川の汎濫したゝめ埼玉栃木の方面のみならず、東京市川の間さへ二三日交通が途絶えてゐたので、線路の修復と共に、この買出電車の雑沓はいつもより亦一層激しくなつてゐた或日の朝も十時頃である。列車が間もなく船橋の駅へ着かうといふ二ツ三ツ手前の駅へ来かゝるころ、誰が言出したともなく船橋の駅には巡査や刑事が張込んでゐて、持ち物を調べるといふ警告が電光の如く買出し連中の間に伝へられた。
 いづれも今朝方、夜明の一番列車で出て来て、思ひ/\に知合ひの農家をたづね歩き、買出した物を背負つて、昼頃には逸早く東京へ戻り、其日の商ひをしやうといふ連中である。どこでもいゝから車が駐り次第、次の駅で降りて様子を窺ひ、無事さうならそのまゝ乗り直すし、悪さうなら船橋まで歩いて京成電車へ乗つて帰るがいゝと言ふものもある。乗つて来た道を逆に柏の方へ戻つて上野へ出たらばどうだらうと言ふものもある。やがて其中の一人が下におろしたズツクの袋を背負ひ直すのを見ると、乗客の大半は臆病風に襲はれた兵卒も同様、男も女も仕度を仕直し、車が駐るのをおそしと先を争つて駅のプラツトフオームへ降りた。
「どこだと思つたら、此処か。」と駅の名を見て地理を知つてゐるものは、すた/\改札口から街道へと出て行くと、案内知らぬ連中はぞろ/\その後へついて行く。
「いつだつたか一度来たことがあつたやうだな。」
「この辺の百姓は人の足元を見やがるんで買ひにくい処だ。」
「その時分はお金ばつかりぢや売つてくれねえから、買出しに来るたんび足袋だの手拭だの持つて来てやつたもんだ。」
「もう少し行くとたしか中山へ行くバスがある筈だよ。」
 こんな話が重い荷を背負つて歩いて行く人達の口から聞かれる。
 十月初、雲一ツなく晴れわたつた小春日和。田圃の稲はもう刈取られて畦道に掛けられ、畠には京菜と大根の葉が毛氈でも敷いたやうにひかつてゐる。百舌の鳴きわたる木々の梢は薄く色づき、菊や山茶花のそろ/\咲き初めた農家の庭には柿が真赤に熟してゐる。歩くには好い時節である。買出電車から降りた人達はおのづと列をなして、田舎道を思ひ/\目ざす方へと前かゞまりに重い物を負ひながら歩いて行く。その身なりを見ると言合せたやうに、男は…

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