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八百長くづれ
やおちょうくずれ
作品ID52022
著者栗島 山之助
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻2 相撲」 作品社
1991(平成3)年4月25日
入力者浦山敦子
校正者noriko saito
公開 / 更新2015-01-29 / 2014-12-22
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 八百長くづれ――と唱へる新語が出来たのは、明治四十三年一月、太刀山対駒ヶ岳の立合ひに、其結果が七面倒な預り勝負になつた事に依つてである。此問題は相当な大波紋を相撲界に捲き起こした。何といつても当時人気の焦点である両力士が、複雑怪奇な噂の中に包まれて、天下晴れての土俵場裡に、複雑怪奇な立合を、正々堂々とやつたのであるから、苟しくも相撲を彼是と論ずる手合は、昂奮の青筋を額へ立てゝ論争したのも尤も千万であらう。
 そも/\太刀山と駒ヶ嶽とは、明治三十七年の五月場所、各々前頭筆頭の力士として、位置の均勢を示してゐたのに拘らず、土俵上の成績は太刀山優勢を以て、其大場所に勝星を獲得した。然るに次場所の位置は逆比例して、駒は小結に昇進し、太刀は居据りとなつてゐた。次いで翌三十八年の一月には、預りの勝負を遂げ、以来二場所は駒の勝利となつて、彼は早くも大関に進み、太刀は関脇に踏止まつた。此状勢で明治四十年一月の引分勝負。四十一年五月と翌四十二年一月の引分勝負。都合三回に互角のかたちを保持したが、此間、明治四十年の五月に於て、駒が一点の勝星を収めてゐるから、太刀と駒とが幕内力士としての星比べは、互に三点の勝星を備へて、全く同等の成績を対比してゐたのであつた。そこへ明治四十二年の夏場所が来て、而も此時は太刀山が新大関の栄位につき、駒ヶ嶽の東方正大関と肩を双べる地位に迄迫つて来た。時なるかな相撲道の為めにかがやかしい初夏の光は、新設された国技館の宏大な建物を照らして、気運は絶好の機会を孕んでゐる。才智にすぐれた協会の幹部たる者。活眼をひらいて相撲道の前途を観測したら、ジツクリと大きな腕を拱いて、名案良策を編み出さずにはゐられなかつたのである。
 協会幹部会議は、先づ現横綱の二大力士梅、常陸に代つて、人気満点の太刀、駒二大力士を、其後継者に推戴して、飽く迄持続し得べき相撲道の隆運を、弥が上にも昂騰させようと企てたのである。そこで太刀、駒を同時横綱にするためには、双方に花を飾らせる事はいふ迄もないが、先づ強味のある太刀山の方に、ある意味の同意を得ておかなくてはならない。こゝで土俵上の妥協が成立した訳である。前に私が解説した『強い者と強い者との八百長』――これが暗黙の間に承認された次第である。
 斯くて明治四十三年一月第九日目の土俵場裡へ、大剛太刀山と駒ヶ嶽との雄姿が出現する事になつたが、此立合は凄じい勢を以て立上ると、一二合突合つてカツキと四つに引組んだ。左四つの褌の引き合ひ、先づ駒より下手投を打つて太刀が残し、続いて太刀の上手投を酬いて、駒又これを残した。かくして一呼吸の後、再び駒の下手投、残りは大刀の上手投と、一上一下虚々実々、絢爛眼を奪ふが如き華麗無比の争ひを現出したので、只情景の壮大に酔ふ者は、狂喜して歓呼喝采を浴せかけたが、相撲に通ずる一部の人々は、此立合を臭しと見て、聊か…

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