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希望
きぼう
作品ID52055
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 10」 講談社
1977(昭和52)年8月10日
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-06-13 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 夏の晩方のことでした。一人の青年が、がけの上に腰を下ろして、海をながめていました。
 日の光が、直射したときは、海は銀色にかがやいていたが、日が傾くにつれて、濃い青みをましてだんだん黄昏に近づくと、紫色ににおってみえるのでありました。
 海は、一つの大きな、不思議な麗しい花輪であります。青年は、口笛を吹いて、刻々に変化してゆく、自然の惑わしい、美しい景色に見とれていました。
「昨夜も同じ夢を見た。はじめは白鳥が、小さな翼を金色にかがやかして、空を飛んでくるように思えた。それが私を迎えにきた船だったのだ。」
 青年は、だれか知らぬが、海のかなたから自分を迎えにくるものがあるような気がしました。そして、それが、もう長い間の信仰でありました。この不自由な、醜い、矛盾と焦燥と欠乏と腹立たしさの、現実の生活から、解放される日は、そのときであるような気がしたのです。
「おれは、こんな形のない空想をいだいて、一生終わるのでないかしらん。いやそうでない。一度は、だれの身の上にもみるように、未知の幸福がやってくるのだ。人間の一生が、おとぎばなしなのだから。」
 彼は、ロマンチックな恋を想像しました。また、あるときは、思わぬ知遇を得て、栄達する自分の姿を目に描きました。そして、毎日このがけの上の、黄昏の一時は、青年にとってかぎりない幸福の時間だったのであります。
 奇蹟が、あらわれるときは、かつて警告というようなものはなかったでしょう。そして、それは、やはり、こうした、ふだんの日にあらわれたにちがいありません。
 青年は、今日もまた空想にふけりながら、沖をながめていました。ふと、その口笛は止まって、瞳は水平線の一点に、びょうのように、打ちつけられたのです。いましも、金色に縁どられた雲の間から、一そうの銀色の船が、星のように見えました。そして、その船には、常夏の花のような、赤い旗がひらひらとしていました。
「あの船だ!」
 青年は、夢の中で見た船を思いだしました。とうとう、幻が現実となったのです。そして幸福が、刻々に、自分に向かって近づいてくるのでありました。
 見ていると、銀色の小舟は、波打ちぎわにこいできました。入り陽が、赤い花弁に燃えついたように、旗の色がかがやいて、ちょうど風がなかったので、旗は、だらりと垂れていました。船の中で、合図をしているように思われました。彼は、がけをおりようかと思いましたが、ほんとうに、自分を迎えにきてくれたのなら、何人か、ここまでやってくるにちがいない。すべて、運命や奇蹟というものは、そうなければならぬものだと考えられたからであります。
 それで、彼は、じっとして見守っていました。船から、人がおりて、汀を歩いて、小さな箱を波のとどかない砂の上におろしました。そして、その人影は、ふたたび船にもどると音もなく、船はどこへともなく去ってしまったので…

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