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三月の空の下
さんがつのそらのした
作品ID52065
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 10」 講談社
1977(昭和52)年8月10日
初出「民政」1934(昭和9)年3月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-06-18 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 花の咲く前には、とかく、寒かったり、暖かかったりして天候の定まらぬものです。
 その日も暮れ方まで穏やかだったのが夜に入ると、急に風が出はじめました。
 ちょうど、悪寒に襲われた患者のように、常磐木は、その黒い姿を暗の中で、しきりに身震いしていました。
 A院長は、居間で、これから一杯やろうと思っていたのです。そこへはばかるような小さい跫音がして、取り次ぎの女中兼看護婦が入ってきて、
「患者がみえましたが。」と、告げました。
「だれだ? 初診のものか。」と、院長は、目を光らしました。
「はい、はじめての方で、よほどお悪いようなのでございます。」
 まだ年の若い彼女は、こんなものを院長に取り次いだのは悪いとは思ったけれど、それよりも、目にうつる哀れな男の姿のほうが、いっそう強く心を動かしたのです。けれど、院長は容易に座を立ち上がろうとしなかった。
「そんなに悪いのに、ここへやってきたのか。」
「はい。」
 院長は、きたときいては、捨ててもおけなかったのでした。どんな身分の患者であって、またどこが悪いのか、それを知りたいという職業意識も起こって、
「いま、ゆくから。」と、静かに、答えて、苦い顔つきをしながら、居間を出ました。
 控え室をのぞくと、乞食かと思われたようなよぼよぼの老人が、ふろしき包みをわきに置いてうずくまっていました。
 院長は、その老人と、取り次いだ看護婦とを鋭く一瞥してからいかにも、こんなものを……ばかなやつだといわぬばかりに、
「みてもらいたいというのは、この方かね。」と、ききました。
「さよう、私でございます。遠いところ、やっと歩いてまいりました。」と、老人はとぎれとぎれに答えました。
「遠いところ? なんで、もっと近所の医者にかからなかったんだね。」
「だめです、いいお医者さんがありません。」と、老人は頭を左右に揺すりました。
(そうだろうとも、だれが、こんなものを見てやるものだ。このばかな女でもなければ、一目見て追い帰すにちがいない。いったい、医者というものをなんと心得ているのだろう。)
「おじいさん、せっかくだが、私は、これから急病人の迎えを受けているので、出かけなければならないのだ。だからすぐみてあげることができない。どうか、よそへいってもらいたい。」
 院長は、そばに、まごまごしている、看護婦の顔をにらんで、奥へさっさとはいってしまいました。
「じゃ、どうしてもみてくださらんのか。」と、老人は、つぶやきました。
「お気の毒ですけれど、先生はたいへんお忙しいので、みられんとおっしゃいますから、よそのお医者さまへいってくださいまし。」と、看護婦は、そういいました。
「ははあ、よそのものはみても、私をばみられないとおっしゃるのだな。どうせ、この老耄はくたばるのだからいいけれど、そうした道理というものはないはずじゃ。もう私は歩けないが、…

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