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しんぱくの話
しんぱくのはなし
作品ID52069
著者小川 未明
文字遣い新字新仮名
底本 「定本小川未明童話全集 10」 講談社
1977(昭和52)年8月10日
初出「民政」1933(昭和8)年10月
入力者特定非営利活動法人はるかぜ
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-06-18 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 高い山の、鳥しかゆかないような嶮しいがけに、一本のしんぱくがはえていました。その木は、そこで幾十年となく月日を過ごしたのであります。
 人間のまれにしかゆかない山とはいいながら、その長い間には、幾多の変化がありました。人の足の踏み入るところ、また手のとどくところ木は切られたり、また持ち去られたりしたのであります。そして、それは人間ばかりとかぎっていなかった。
 あるときは、雨がつづいて、出水のために、あるときは、すさまじいあらしのために、また真に怖ろしい雪のために、その脅威は一つではなかったのです。
 同じ生命を有している人間のすることにくらべて、はかり知れない、暴力の所有者である自然のほうが、どれほど怖ろしいかしれないと木は思っていました。しかし、こうした嶮岨な場所に生じたために、しんぱくは、無事に今日まで日を送ることができたのであります。けれど、それは、また偶然であるといわなければなりません。
 なぜなら、たとえ、人間の力では、そこへは達しなかったけれど、自然の力は、いつも自由であったからです。現に、数年前のこと、ちょうど春先であったが、轟然として、なだれがしたときに、幹の半分はさかれて、雪といっしょに谷底へ落ちてしまったのでした。幸いに根のかみついていた岩角が砕けなかったから、よかったものの、もし壊れたら、おそらくそれが最後だったでありましょう。
 しかし、いまは、そのときの傷痕も古びてしまって、幹には、雅致が加わり、細かにしげった緑色の葉は、ますます金色を帯び、朝夕、霧にぬれて、疾風に身を揺すりながら、騎士のように朗らかに見られたのであります。
 冬でも、この岩穴の中に越年する、いわつばめがすんでいました。ひらひらと、青い空をかすめて、右に、左に、飛んでいたが、やがて、風に舞って落ちてきた木の葉のように、しんぱくの枝にきて止まりました。
「雪が近づきましたよ。西の空が火のように赤いのです。こんどあらしがあるときっと雪を持ってきますからね。」
 そういって、いわつばめは、だんだん黄昏れていく、奥深い空を見上げていました。
 うっかりしようものなら、冷い風が、小さな体をさらって、もう暗くなった谷間へたたき落とそうとしたのであります。
 しんぱくは、そのたびに、頭をはげしく振りました。
「いや、そのほうがいいでしょう。あなたたちは、岩穴の中でゆっくり眠りなさるがいい。かれこれするうちに、じきに四、五月ごろとなります。あの水晶のように明るい雪解けの春の景色はなんともいえませんからね。それまで、私は、あらしや、吹雪の唄でも楽しんできいています。そして、あなたたちが、岩穴の中で、こうもりのおばあさんからきいた、不思議のおとぎばなしを教えてくだされば、私は、西風のうたっていた北の国の唄をうたってきかせますよ。」
「なんだか、来年の春が楽しみですが、もう人間が、こ…

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