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千里駒後日譚
せんりのこまごじつのはなし
作品ID52179
著者川田 雪山 / 川田 瑞穂 / 楢崎 竜
文字遣い新字旧仮名
底本 「坂本龍馬全集」 宮地佐一郎、光風社出版
1988(昭和63)年5月20日
初出「土陽新聞」1899(明治32)年11月4、5、7~10日
入力者Yanajin33
校正者Hanren
公開 / 更新2011-07-23 / 2014-09-16
長さの目安約 28 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

川田雪山、聞書
「土陽新聞」連載、明治三十二年十一月

(一回)

御一新前土佐藩から出て天下を横行した海援隊の隊長に阪本龍馬と云ふ豪傑が有つて、又其妻に楢崎お龍と云ふ美人で才女で、加之に豪胆不敵な女のあつた事は諸君善く御承知でせう、其お龍が今猶ほ健固で相州横須賀に住んで居る。僕は近頃屡ば面会して当時の事情を詳しく聞ひたが、阪崎氏の「汗血千里駒」や民友社の「阪本龍馬」などとは事実が余程違つて居る、符合した処も幾干か有るが鷺を鴉と言ひ黒めた処も尠なからぬ。もし此儘で置ては徒だ後世を誤る斗りと思ふから聞ひた儘を筆記して、土陽新聞の余白を借り、諸君の一粲を煩す事にしました、唯だ文章が蕉拙くつて這の女丈夫を活動させることの出来ないのが如何にも残念です。
又この後日譚に就ての責任は一切僕が引受ます。

◎十月念八日、雪山しるす。
海援隊の人数ですが、水夫も加へれば六七十人も居たでせう。私の知つて居る人では石川誠之助(中岡慎太郎)、菅野覚兵衛、高松太郎、石田英吉、中島作太郎(信行)、近藤長次郎、陸奥陽之助(宗光)、橋本久太夫、左柳高次、山本幸堂、野村辰太郎、白峰駿馬、望月亀弥太、大利鼎吉、新宮次郎、元山七郎、位です。陸援隊はまだ出来て居らなかつたので、石川さんは初は一処に海援隊でした。面白い人で、私を見るとお龍さん僕の顔に何か附いて居ますかなどゝ、何時もてがうて居りました。
◎陸奥には一二度逢ひました。此人は紀州の家老の伊達千広と云ふ人の二男で、其兄も折々京都へ来ましたが四条の沢屋と云ふ宿屋にお国と云ふ妙な女がありました。コレと其兄と仲が好かつたのです。或日伏見の寺田屋へ大きな髻を結つた男が来て、阪本先生に手紙を持て来たと云ひますから私は龍馬に何者ですかと聞くと、アレは紀州の伊達の子だと云ひました。此時から龍馬に従つたのです。持て来た手紙は饅頭屋の長次郎さんが長崎で切腹した事を知らせて来たのです(千里駒には龍馬が長崎に於て近藤を呼び出し切腹を命じたりとあれど誤り也)。長次さんは全く一人で罪を引受けて死んだので、己が居つたら殺しはせぬのぢやつたと龍馬が残念がつて居りました。アノ伊藤俊助さんや井上聞多さんは社の人では無いですが長次さんの事には関係があつたと見え、龍馬が薩摩へ下つた時、筑前の大藤太郎と云ふ男が来て伊藤井上は薄情だとか卑怯だとか矢釜しく云つて居りましたが、龍馬は、ソンナに口惜しいなら長州へ行つて云へと、散々やり込めたのです。すると其晩一間隔てゝ寝て居た大藤が夜半に行燈の光で大刀を抜いて、寐刃を合して居りますから私は龍馬をゆり起し、油断がなりませぬとつまり朝まで寝ずでした。翌日陸奥が来ましたから此事を話し、西郷さんにも知らせると、ソレは怪しからぬと云つて、私等二人を上町と云ふ処へ移らせ、番人を置いて警戒させてくれました。元々陸奥は隊中で「臆病たれ」と綽名されて居ま…

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