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赤絵鉢
あかえばち
作品ID52186
著者柳 宗悦
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆 別巻9 骨董」 作品社
1991(平成3)年11月25日
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2014-09-06 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 上野の美術倶楽部で、又々山中商会による大展観があつた。昭和八年のことである。どんな骨董商も之ほどの大きな企ては敢てしない。今度の主なものは焼物であつた。玉石入り乱れてはゐるが、幾つかの見事なものが列んだ。だがどれよりも私を惹きつけた一つの赤絵鉢があつた。この一個は歪みがあつて、殆ど楕円形をなし而も一端にくびれがある。始めは窯の中で自然に歪んだ傷ものかと思へたが、実は茶人達が支那へ注文して、態々歪んだ形に作らせたことが分つた。紋様も日本好みである。茶人達は之を水差として用ゐた。平たい黒塗の蓋が添へてあるので分る。歪みはひどいが、姿には堂々たる趣きがあつた。色には眼の覚めるやうなところがあつた。
 私の心は大いに動いた。価格の札を見ると、それは他の品に比べ決して不当に高い値ではなかつた。併しその折の私の事情には尚も高過ぎたのである。私は迷つたが、結局自らを抑へるより仕方がなかつた。私はそれに見入り、幾度かその飾棚の前に戻つた。かういふものが日本に残るといふことだけでも有難い。又こんな美しいものを見る眼を与へられたことも嬉しい。之に廻り会へて悦びを得たその幸に感謝するだけでも充分な酬いであらう。私は自らをさう慰めた。
 私が出かけたのは初日の朝であつたが、客は既に込みあつてゐた。多くの品が躊躇なく買はれて行くので、こんな見事な赤絵は、その日の午前中に売れて了ふに違ひなかつた。帰る道すがら色々な想ひにふけつた。品物の運命のことなどが心に浮んだ。あの一個は誰の手に渡るのであらうか。何れ富豪の手に入れば、もう二度と見ることはむづかしい。だが買手は私ほどにあの鉢を敬つてくれるであらうか。あの美しさを本当に見つめてくれるであらうか。いい買手であればよいが、鉢よ、幸運であれ。是等の想ひが私の胸を往き来した。
 会は三日間であつたか続いた。私は終りの日にもう一度行きたくはあつたが、あの鉢が売れて了つたのは必定だし、もう棚の中には置いてないであらう。仮りにあつても赤札が附いてゐるのを見たら心残りがするであらう。さう思へて遂に出かけるのを見合せて了つた。かくして会は終つたのである。私はもう記憶の中に、その鉢を想ひ返すより致し方なかつた。
 併しその運命がまだ気にかゝつた。誰が買つたのであらうか。今頃はどこに運ばれてゐることか。いや、若しかしたら売れ残つたかも知れぬ。さういふことがないとも限らぬ。いや、そんな馬鹿なことはない。目が覚めるほど輝いてゐたのである。誰もあれを見過ごしはしまい。だが気になつて仕方がない。一応売れたかどうかを尋ねてもよくはないか。万が一といふこともあらう。問ひ合せないのも亦心残りである。それに買手が誰だつたかを知つておくのもいい。さう思ふほど私はその赤絵鉢に執心したのである。私は遂に葉書を出した。出したあとで迷ふ愚かな自分の姿を眺めた。
 返事は来なかつた。…

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