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京都の朝市
きょうとのあさいち
作品ID52187
著者柳 宗悦
文字遣い新字新仮名
底本 「日本の名随筆5 陶」 作品社
1982(昭和57)年10月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-01-06 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 私は大正の終りから昭和の八年まで足掛九年も京都に住んだが、今から想うと、もっとよくこの旧都やその周辺の文化の跡を見ておくべきであった。由緒のある社寺はもとよりだが、近辺の聚落やその生活などにも更に親しむべきであった。それに見落したのはこの古い都に今も数々伝わる手工芸の工房である。それを遍ねく訪ねて、技術の工程や出来上る品物を、よく見届けておくべきであった。工芸の種目は驚くほどの数に上ろう。この点では京都にまさる場所は他にあるまい。古く遠い伝統が今もつづくからである。その幾許かはもとより見て廻ったが、もっと充分に私の見聞を広めておくべきであった。今から思い返して惜しい気がしてならぬ。
 併し徒らに怠っていたわけではない。京都に在住の間、私の心をいたくそそったものの一つは朝市であって、私は中々勉強した。これには河井寛次郎が先達であった。
 朝市というのは月のうちの日と所とをきめて、少くとも朝の六時頃から立つ市なのである。上、古着から、下、櫛の欠けたのまで、何でもかでも並べる市である。それが一ヶ所ではない。弘法の市、天神の市、壇王の市、淡島の市、北浜の市という風に、日と所とを異にして立つのである。何でも、それ等の朝市に凡て出掛けるとすると、大小合せ、驚く勿れ、一ヶ月のうち二十日余りもあるそうである。中で最も大きいのは月の二十一日にかかる弘法の市、つまり東寺の市で、広い寺の境内が、所せまきまでに物で埋まる。これと双壁をなすのが毎月二十五日の天神の朝市で、つまり北野天神の境内境外にぎっしり立つ大きな市である。
 何もかも、けじめなく売る是等の朝市は、私共には大いに魅力があった。尤も私が始めてその市のことを知ったのは、漸く大正の終り頃であるから、もうよい時期は去って了った後だとも云える。大正の始めであったら、更に又明治に遡ったら、品物はどんなに素晴らしかったかと思える。時代が降るにつれて、物の質は落ちてゆく、「この頃は全く何も出んようになりました」と私共はよく商人から聞かされたものである。実際そうであるに違いない。
 併しそれでも出掛ければ、何か一物は手に入った。もともとこの朝市には五時から六時頃の間に、手車で品物が運ばれてくるのだが、車が止まるのを待ち受けているのは小道具屋連中で、めぼしいものが先ずぬかれて了う。それに六時頃出かけるのは、そう楽なことではなく、私共が行くのは、早くて七―八時頃になって了う。この市を目がけて集る都民の数も大したもので、天気でもよいと、時には身動きも出来ぬ盛況である。それ故、私共はどうしても二番手、三番手の買手になって了う。
 併し有難いことに、道具屋と私共の眼のつけ所に、中々喰い違いがあるのである。だから後から出掛ける私達にも、目こぼしの品が相当に恵まれるわけである。人々が注意を払わず、市価がてんでない品の中に、色々よいものが現れてくる…

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