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和紙の美
わしのび
作品ID52191
著者柳 宗悦
文字遣い新字旧仮名
底本 「日本の名随筆68 紙」 作品社
1988(昭和63)年6月25日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-01-06 / 2014-09-16
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 想へば単純な材料に過ぎない。それなのに眺めてゐて惹きつけられる。手漉きの和紙はいつだとて魅力に満ちる。私はそれを見つめ、それに手を触れ、言ひ難い満足を覚える。美しければ美しいほど、かりそめには使ひ難い。余ほどの名筆ででもなくば、紙を穢すことにならう。そのまゝでもう立派なのである。考へると不思議ではないか、只の料紙なのである。だが無地であるから、尚美しさに含みが宿るのだとも云へよう。良き紙は良き夢を誘ふ。私は紙の性情を思ひ、その運命を想ふ。

 何処からその美しさが出て来るのか、いつものやうに私はさう思索する。詮ずるに質が有つ美しさなのである。さう考へていゝであらう。もと/\質が良く、それが手漉きで活かされる時、上々の紙に生れ変る。質とは何なのか。天与の恵みなのである。その恵みが滲み出てゐるものほど美しい。さう云つて謎は解ける。
 なぜ手漉だと紙が温くなるのか。なぜ自然のまゝの色には間違ひがないのか、なぜ太陽の光で干すと紙味が冴えるのか、なぜ板干だと一段といゝのか、なぜ冬の水が紙の質を守つてくれるのか、なぜ耳附が屡々風情を増すのか、真理は自から明なやうに思へる。天然の恵みがその際に一番温く現れるからである。自然がその深みを匿すことなく示すからである。自然の力がまともに感じられると、どの紙も美しいのである。手漉の美しさを、さう考へて筋が通る。

 紙には私がない。そのせいか誰だとてこの世界には憎みが有てない。そこには親まれる性情が宿る。顧みない人は無関心であらうが、近づく者は、離れ難い結縁を感じるであらう。私は私の愛する紙を見せて、人々に悦びを与へなかつた場合はない。見れば誰も見直してくれる。良い紙は愛をそゝる。之で自然への敬念と美への情愛とを深める。
 それにこゝでも日本に会ふ悦びを受ける。どこの国を振り返つて見たとて、こんな味ひの紙には会へない。和紙は日本をいや美しくしてゐるのである。日本に居て和紙を忘れてはすまない。
 紙をどれだけ多く使ふか、之で人は文明の度を測る。だがそのことは量につながる。それよりどんな質のを使つてゐるのか。それで心の度を測るべきではないか。悪しき紙と良き文化と果して縁があらうか。とりわけ日々手にする文翰箋や、著はす書物や、それ等のものにどんな紙を選んでゐるか。手近な紙で、国民の平常が忍ばれよう。和紙をなほざりにする者は、美しさをもなほざりにする。
 私達は今果しなく粗悪な紙を左に見、限りなく美しい紙を右に見るのである。何れを選ぶかは持主で分れる。持物と持主とは二つではない。人はいつだとて良き選び手でなければならない。

 今の人は紙を粗末にする。粗末にしてもいゝ紙が殖えたからに因る。或は又、正しい紙を求める心が弱まつたからと説く方がいゝかも知れぬ。だがかくまでに紙を疎かにあしらう暮しに、幸福があらうか。物を疎かに扱ふ心は、避けられ…

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