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姉弟と新聞配達
していとしんぶんはいたつ
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本文學大系 62」 筑摩書房
1973(昭和48)年4月24日
初出「新潮」1923(大正12)年1月
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2011-01-07 / 2014-09-21
長さの目安約 14 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 早春の夕暮だつた。郊外の小ぢんまりした路角の家の茶の間で、赤ん坊はうつら/\眠かゝつてゐる。二十一になる細君は、ソツと用心深く取上げて、静かな二階に眠かさうと、階子段を上つて行つた。いつも細君は、この夕方の寝かしつける役目を、実家から女中払底の手助けに来てゐるAさんといふ若い看護婦さんに頼んで、自分は料理方にまはるのだが、今夜はAさんに、何か国に宛てて書くべき急な手紙の用事のあることを見てとつたので、臨時に受持を替へたのである。――Aさんは、「相済みません」と云つて、玩具や襁褓を手早く片づけた後、一閑張の上でしきりと筆を走らせはじめた。時々何か印刷した紙を参考にしてゐる様子だつた。
 いかにも春浅い夕方である。刻々に暮れて行く庭からは、農学校で買つたシクラメンの匂が漂つてゐる。さなきだに暗いほど濃い紅梅の花弁は、もう容易く闇に溶けはじめてゐる。二階からは細君のうたふ子守唄が、まだ歌ひ手にそぐはぬ節廻しで聞えてゐた。それはどこか、女学校の窓から往来に漏れて来るやうな、ドレミファ、一二三と拍子のとれさうな唱歌臭いものだつた。
 子供はぢきに眠入つた。細君はトン/\と降りて来た。Aさんは筆を早め、急いで封に納めて立ち上つた。それから二人がゝりの仕度がひとしきりあつて、やがて夕飯が卓にならべられた。
 画室で静物を描いてゐた主人の一蔵が、食事の気配を習慣で感じて、ノツソリ入つて来た。
「寝たかね。」
「えゝ、やつと。」細君は両肩をぐつと下ろすやうな仕草をした。「これからがやつと、わたしの時間ね。」
「お疲れでしたでせう。相済みませんでした。」夫婦から一寸離れた据膳で箸をとつたAさんが、眉を寄せて見せた。
「いゝえ。あなたこそ毎日々々のお守で、本当に大変ですわ。でもあなたが助けに来て下さつたので、本当に大助かりよ。」
 Aさんはもと/\赤十字社の看護婦さんだつた。それが二年前、細君の母親にあたる医師の未亡人が、長く病つて入院した折に附添になつたのが縁で、未亡人からすつかり頼りに思はれて、退院のあとも是非にとその大森の家に連れ帰られたのである。Aさんは其処で、病身な未亡人の様子を見る他、手紙や買物の代理をしたり、女中の世話をしたりして、今では家になくては困る人になつてしまつてゐたのである。
 ――食卓の下で、主人の膝にゴソ/\触るものがあつた。取り上げて見ると、「早稲田工手学校規則書」と刷つてある紙だつた。Aさんが置き忘れた物だ。
「誰か工手学校に入るんですか。」主人は拡げて見ながら、訊ねた。
「ハア。弟が入ります。」
「ぢやあAさんは、東京にも弟さんがおいでなの。」細君が口を出した。
「いえ、まだ国に居るのでございますけれど……早く東京に出たくて、ヤイ/\云つて参ります。父がそれには反対なものですから私にばかり云ひ度い事を云つて困つてしまひます。」Aさんはしか…

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