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猪鹿蝶
いのしかちょう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭短篇選」 岩波文庫、岩波書店
2009(平成21)年 5月15日
初出「別冊文藝春秋」1951(昭和26)年3月号
入力者平川哲生
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-07 / 2014-09-16
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 いつお帰りになって? 昨夜? よかったわ、間にあって……ちょいと咲子さん、昨日、大阪から久能志貴子がやってきたの。しっかりしないと、たいへんよ……あなたを担いでみたって、しょうがないじゃありませんか。ええ、ほんとうの話……誰だっておどろくわ。どんなことがあったって、東京なんかへ出てこられる顔はないはずなのに。そこが志貴子の図々しさよ……終戦から六年、その前が四年だから、ちょうど十年ぶりね。木津さん? そのことなのよ。なにはともかく、大至急お耳にいれておくほうがいいと思って、それでそれはもう、あなたさまのおためになることでしたら、いかようにも相勤めまするでござるだけど、お蔭さまで、今日はくたくた。
 朝の十時ごろ、築地の山城から、いきなり電話をかけてきたものなの。折入っておねがいしたいことがあるから、どこか静かなところで、一時間ほどお話できないだろうかって。すらっとしたものなの……志貴子の追悼会をやったあとで、久能徳が本門寺の書院で、いろいろとお助けいただいたご恩にたいしても、生涯、志貴子は東京へ出しません。おやじの私がお約束するって、畳に両手を突いておじぎをしたでしょう。いくら年月がたったにしろ、あのいきさつを考えたら、かりに東京へ出てきたって、厚顔しく電話なんかかけて来れる義理はないのよ。だいいち東京へ出てくること自体、あまり人をバカにした話でしょう。木津さんに回状をまわして、大真面目な顔で年忌までやったあたしたちの立場がどうなると思っているのかしら。木津さんはひっこんでいるからいいようなものの、銀座あたりで二人がひょっこり逢いでもしたら、あんな大嘘をついた手前、木津さんに合わせる顔ないわ……あなたはそうでしょう。木津さんを釣っておくためなら、どんなことだってするひとなんだから、バレたらあやまればいいと思っているんでしょうけど、あたしのほうは悪かったじゃすまないのよ。それはそうだろうじゃありませんの。志貴子さん、お亡くなりになったんですってねえって、久能徳のうしろにくっついて、まっさきにお悔やみに行ったのはあたしなんだから、罪が深いわ。
 モシモシ、電話、遠いわね。聞えて?……逢ったわ。もちろんよ、志貴子なんかの話をきいてやる筋は、あたしのほうにはないわけなんだけど、いい気になってほっつき歩かれでもしたら事だから、うんととっちめて、昨夜にでも、大阪へ追い返してやるつもりだったの……銀座のボン・トンで。なまじっかな場所だと、かえって目につくから、ざわざわしたところのほうがいいと思ったの。
 ええ、やってきたわ。二十分も遅れて。腹がたって、ひっぱたいてやろうかと思ったくらい……遅くなってとも言わないの。ずるずるに椅子に掛けて、「お別れしてから、久しうなりますのに、ちょっともお変りになってはれしめへんな」なんて、のんびりしたものなの。おぼえているでしょう。神戸…

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