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無月物語
むげつものがたり
作品ID52224
著者久生 十蘭
文字遣い新字新仮名
底本 「久生十蘭短篇選」 岩波文庫、岩波書店
2009(平成21)年 5月15日
初出「オール讀物」1950(昭和25)年10月号
入力者平川哲生
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-07 / 2014-09-16
長さの目安約 40 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 後白河法皇の院政中、京の加茂の川原でめずらしい死罪が行われた。
 大宝律には、笞、杖、徒、流、死と、五刑が規定されているが、聖武天皇以来、代々の天皇はみな熱心な仏教の帰依者で、仏法尊信のあまり、刑をすこしでも軽くしてやることをこのうえもない功徳だとし、とりわけ死んだものは二度と生かされぬというご趣意から、大赦とか、常赦とか、さまざまな恩典をつくって特赦を行うのが例であった。死罪者は別勅によって一等を減じて流罪に処せられるのはもちろんだが、そのほかの罪も、流罪は徒罪に、徒罪は杖罪ということになってしまうのである。また検非違使庁には、布十五反以上を盗んだものは、律では絞り首、格では十五年の使役という擬文律があるが、それでは聖叡にそわないから、死罪はないことにし、盗んだ布も使庁のほうで十五反以内に適宜に格下げして、十五年の徒役が半分ですむように骨を折ってやる。強盗が人を殺して物を盗んでも、盗んだ品だけを問題にして、人を殺したほうにはなんの刑科もない。法文は法文として、実際においてこの時代には死刑というものは存在しなかったのである。その後、文治二年に北条時政が検非違使にかわって京の名物ともいうべき郡盗を捕まえ、使庁へわたさずに勝手に斬ってしまった。これは時政の英断なので、寛典に流れた格律に目ざましをくれたつもりだったが、朝廷ではむやみに激怒して、時政を鎌倉へ追いかえすのどうのというさわぎになったような世だから、死刑そのものがめずらしいばかりでなく、死刑される当の人は、中納言藤原泰文の妻の公子と泰文の末娘の花世姫で、公子のほうは三十五、花世のほうは十六、どちらも後々の語草になるような美しい女性だったので、人の心に忘れられぬ思い出を残したのである。
 公子と花世姫の真影は光長の弟子の光実が写している。光実には性信親王や藤原宗子のあまり上手でもない肖像画がたくさんあるが、この二人の真影は光実の生涯におけるただ一つの傑作であろう。
 刑台に据えられた花世が着ている浮線織の赤色唐衣は、最後の日のためにわざわざ織らせたものだといわれるが、舞いたつような色目のなかにも、十六歳の気の毒な少女の心の乱れが、迫るような実感でまざまざと描きこめられている。
 長い垂れ髪は匂うばかりの若々しさで、顔の輪郭もまだ子供らしい固い線を見せているが、眼ざしはやさしく、眼はパッチリと大きく、熱い涙を流して泣いているうちに、ふいになにかに驚ろかされたといった、どこか霊性をおびた単純ないい表情をしている。公子のほうは平安朝季世の、自信と自尊心を身につけた藤原一門の才女の典型で、膚の色は深く沈んで眉毛が黒々と際立ち、眼は淀まぬ色をたたえて従容と見ひらかれている。肥り肉の豊満な肉体で、痩せて霊的な花世の仏画的な感じと一種の対照をなしている。
 いまの言葉でいえば、二人の罪は「尊族殺」の共同正犯という…

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