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蛆の効用
うじのこうよう
作品ID52234
著者寺田 寅彦
文字遣い新字新仮名
底本 「科学と科学者のはなし 寺田寅彦エッセイ集」 岩波少年文庫、岩波書店
2000(平成12)年6月16日
初出「自由画稿」1935(昭和10)年2月
入力者しだひろし
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-02-13 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 虫の中でも人間に評判のよくないものの随一は蛆である。「蛆虫めら」というのは最高度の軽侮を意味するエピセットである。これはかれらが腐肉や糞堆をその定住の楽土としているからであろう。形態的には蜂の子やまた蚕とも、それほどひどくちがって特別に先験的に憎むべく、いやしむべき素質を具備しているわけではないのである。それどころか、かれらが人間から軽侮される生活そのものが、実は人間にとって意外な祝福をもたらす所以になるのである。
 鳥や鼠や猫の死骸が、道ばたや縁の下にころがっていると、またたく間に蛆が繁殖して腐肉の最後の一片まできれいにしゃぶりつくして白骨と羽毛のみを残す。このような「市井の清潔係」としての蛆の功労は古くから知られていた。
 戦場で負傷したきずに手当てをする余裕がなくて打っちゃらかしておくと、化膿してそれに蛆が繁殖する。その蛆がきれいに膿をなめつくしてきずが癒える。そういう場合のあることは昔からも知られていたであろうが、それが欧州大戦以後、特に外科医の方で注意され問題にされ研究されて、今日では一つの新療法として、特殊な外科的結核症や真珠工病などというものの治療に使う人が出てきた。こうなると今度は、それに使うための蛆を飼育繁殖させる必要が起こってくるので、その方法が研究されることになる。現に、昨一九三四年の『ナツーアウィッセンシャフテン』第三十一号に、その飼育法に関する記事が掲載されていたくらいである。
 蛆がきたないのではなくて、人間や自然の作ったきたないものを浄化するために蛆がその全力をつくすのである。尊重はしても軽侮すべきなんらの理由もない道理である。
 蛆が成虫になって蠅と改名すると、急にたちが悪くなるように見える。昔は「五月蠅」と書いて「うるさい」と読み、昼寝の顔をせせるいたずらもの、ないしは臭いものへの道しるべと考えられていた。張ったばかりの天井にふんの砂子を散らしたり、馬の眼瞼をなめただらして盲目にする厄介ものとも見られていた。近代になって、これが各種の伝染病菌の運搬者、播布者として、その悪名を宣伝されるようになり、その結果がいわゆる「蠅取りデー」の出現を見るにいたったわけである。著名の学者の筆になる「蠅を憎むの辞」が現代的科学的修辞に飾られて、しばしばジャーナリズムをにぎわした。
 しかし蠅を取りつくすことはほとんど不可能に近いばかりでなく、これを絶滅すると同時に、蛆もこの世界から姿を消す、するとそこらの物陰にいろいろの蛋白質が腐敗して、いろいろのばいきんを繁殖させ、そのばいきんはめぐりめぐって、やはりどこかで人間に仇をするかもしれない。
 自然界の平衡状態は試験管内の科学的平衡のような簡単なものではない。ただ一種の小動物だけでも、その影響の及ぶところははかり知られぬ無辺の幅員をもっているであろう。その害の一端のみを見てただちにそのものの無…

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