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藤の瓔珞
ふじのやぐら
作品ID52257
著者田中 貢太郎
文字遣い新字新仮名
底本 「日本怪談大全 第一巻 女怪の館」 国書刊行会
1995(平成7)年7月10日
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2012-05-27 / 2014-09-16
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

[#挿絵]

 憲一は裏庭づたいに林の方へ歩いて往った。そこは栃木県の某温泉場で、下には澄みきったK川の流れがあって、対岸にそそりたった山やまの緑をひたしていた。松杉楢などの疎に生えた林の中には、落ちかかった斜陽が微な光を投げていた。そこには躑躅が咲き残り、皐月が咲き、胸毛の白い小鳥は嫩葉の陰で囀っていた。そして、松や楢にからまりついた藤は枝から枝へ蔓を張って、それからは天神の瓔珞のような花房を垂れていた。
(いいなあ)
 憲一は足をとめた。
(こんな処にいると、帰るのがいやになるぞ)
 憲一の眼には汚い四畳半の下宿が浮んで来た。拓殖大学に通っている憲一は、小石川の汚い炭屋の二階に下宿しているのであった。
(汚いって、お話にならないや)
 何年か表がえをしたことのない、真黒くなって処どころに穴のあいた畳のことを考えてみた。
(いくら汚いたって、あれじゃやりきれないや)
 どこからか一羽の蝶が来て、ひらひらと皐月の花の上を飛んで往った。
(とにかく、いい処だ)
 憲一はもう汚い下宿のことも忘れていた。林は奥へ往くにしたがって、躑躅と皐月が多くなった。朱、紅、白といちめんに咲き乱れた花は美しかった。憲一はその花の間を縫うて往った。
 林の端れは広い草原になっていた。そこに十坪位の小さい池があってきれいな水を湛えていたが、その池の縁にも紅紫とりどりの躑躅や皐月の花があった。憲一はその池の縁へ往って腰をかけた。
「あら、きれいだこと」
 ふいに人声がしたので、憲一はおやと思ってその方へ眼をやった。今出て来た林の中に碧い瓦を葺いた文化住宅のような家があって、明けはなした二階の窓から白い二つの顔が覗いていた。
(おや)
 憲一は首をかしげた。
(あんな処に家があったのか)
 来るときにはどこにもそれらしいものが見えなかったので、憲一は不思議でならなかった。
(どうした家だろう)
 その時また女の声が聞えて来た。
「もう、しめましょうよ」
 すると二つの顔が引こんで窓の戸が音もなく締った。憲一の好奇心が動いた。憲一はその方へ往った。建物のまわりには円竹の垣根があって、玉椿のような木の花がいちめんに咲いていたが、それは憲一がこれまで見たことのない花であった。
(何の花だろう)
 憲一はその垣根に跟いて往った。垣根が右に曲った処に青い石の門があった。憲一はちょっと立ちどまった。
 門の中には右のほうに水のきれいな泉水があって、その縁に仮山があった。仮山の上には二三本の形のおもしろい小松が植わっていた。その時泉水に面した室の障子が開いて、そこから三十位に見える洋髪の[#挿絵]な女の顔が見えた。憲一は今窓から顔を出した人だろうかとおもって、それに注意したところで、女の[#挿絵]な顔がこっちをむいて莞とした。
 憲一はどぎまぎした。憲一はあわてて眼をそらした。その時女の何か云う声が…

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