えあ草紙・青空図書館 - 作品カード


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浅草を食べる
あさくさをたべる
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「ロッパの悲食記」 ちくま文庫、筑摩書房
1995(平成7)年8月24日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2012-01-07 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 十二階があったころの浅草、といえば、震災前のこと。中学生だった僕は、活動写真を見るために毎週必ず、六区の常設館へ通ったものだ。はじめて、来々軒のチャーシュウ・ワンタンメンというのを食って、ああ、何たる美味だ! と感嘆した。
 来々軒は、日本館の前あたりにあって、きたない店だったが、このうまかったこと、安かったことは、わが生涯の感激の一つだった。少年時代の幼稚な味覚のせいだったかも知れないが、いや、今食っても、うまいに違いない、という気もする。
 支那料理は、五十番や品芳楼もあったが、何と言っても来々軒が圧倒的だった。
 今の松竹座の横、六区への道に、オーギョチという、これこそは浅草だけにしか無い、不思議な食いものがあった。台湾産の植物からつくったとかいう、ところてんの如き、怪しげな、食いもの(というより飲みものに近い)だった。愛玉只と書いて、オーギョチと読むんだから、よほど不思議なことがお分りだろう。震災後は見かけたが、今はない。
 そのオーギョチの、何とも形容出来ない、甘ずっぱい味を、ふと思い出すことがある。
 みつ豆の舟和も古い。芋ようかん、あん玉の舟和、これは今日まで続いている。
 仲見世まで行くと、観音様へ向って右の裏通りに、だるま、宇治の里などという、今で言えば、大衆向きの料理屋があった。これは中学生以前、まだ子供だったころ、父母に連れられて、よく行った。たまご焼だの、きんとんが、雀躍したい程うまかった。
 震災後の浅草は昭和八年に、笑の王国という喜劇団を結成して、僕は喜劇役者になり、三年間も、毎日浅草に出ていたのだから、ずいぶん、浅草中の食いものには、馴染んだ。
 今半、ちんや、松喜の牛鍋(すきやきとは言わなかった)から、中清、清水、天藤の天ぷら、金田の鳥、と書いていて区役所横丁の雑居屋のシチュウは、うまかったなあ。(俺はどうして、食いもののことになると記憶がいいんだろう?)
 話をもとに戻して、昭和八、九年だ。新仲見世の、みやこという小料理屋、そこが、うまくて安くて、こたえられなかった。鍋ものがよかった。あんかけ豆腐が、十銭だった。僕は、三年間を三日にあけず、みやこへ通ったものだった。戦後は、浅草で再開せず、銀座へ出たが、もはや高級店である。
 浅草独得(ではないが、そんな気がする)の牛めし、またの名をカメチャブという。屋台でも売っていたが、泉屋のが一番高級で、うまかった。高級といっても、普通が五銭、大丼が十銭、牛のモツを、やたらに、からく煮込んだのを、かけた丼で、熱いのを、フウフウいいながら、かきこむ時は、小さい天国だった。
 話は飛んで、戦後の浅草。ところが、僕、これは、あんまり詳しくない。それに、浅草自体が、独得の色を失って、銀座とも新宿ともつかない、いわば、ネオンまばゆく、蛍光灯の明るい街になってしまったので、浅草らしい食いものという…

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