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当選の日
とうせんのひ
作品ID52378
著者太宰 治
文字遣い旧字旧仮名
底本 「太宰治全集11」 筑摩書房
1999(平成11)年3月25日
初出「國民新聞 第一七〇四六号~一七〇四八号」1939(昭和14)年5月9日~11日
入力者小林繁雄
校正者阿部哲也
公開 / 更新2011-12-01 / 2014-09-16
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

(一) まづしい作家のこと

 こんど、國民新聞の短篇小説コンクールに當選したので、その日のことを、正直に書いて見ようと思ふ。私は、ことしのお正月に、甲府の人と平凡な見合ひ結婚をして、けれども私には一錢の貯金も無し、すぐに東京で家を持つわけに行かなかつた。家の敷金として、百圓くらゐ用意しなければならぬし、その他家財道具一切を買はなければならぬし、そのためには、どうしても、もう百圓は必要であらうし、とにかく、結婚當時の私には、著てゐる著物と、机と夜具、それだけしかなかつたのであるから、ずゐぶん心苦しいことが多かつた。はじめ私たちは、どこか山奧の安い宿でも見つけて、そこにかくれて、私はとにかく仕事に努め、家を持てるだけのお金を得ようと、そんなことも相談してゐたのであつたが、さいはひ、甲府の實家のちかくに六圓五十錢の、八疊、三疊、一疊の小さい家が見つかり、當分ここでもいいではないか、山の宿より安あがりかも知れんと、しちりんや、箒やバケツを買つて、その家に收まつた。敷金もここは要らないのである。

 甲府のまちのはづれで、坐つてゐても、部屋の窓から、富士がちやんと見える。葡萄棚もあり、枝折戸もあり、何よりも値が安く、六圓五十錢なので、それが嬉しかつた。汽車の響きがかすかに聞えて來るくらゐで、夜は、八時すぎると、しんとしてゐる。
「いいかい。侘びしさに、負けてはいけない。それが、第一の心掛けだと、僕は思ふ。」
 私は、多少口調を改めて、そんなことを家内に教へた。私自身、侘びしさに負けさうで、心細かつたからでもある。

 この家で、一ばんはじめに書いた小説は、黄金風景といふ十枚たらずの短篇であつた。その短篇が、こんどコンクールに當選してゐたのである。私は、當選などとは、ほんたうに、それこそ夢にも思つてなかつた。私はこれまで、私の性格、體質などに就いて、ずゐぶん誇張されて言ひ傳へられ、たしかに私にも不用意な點があつて、明かにそれは私のいたらぬところであつたけれど、あらぬ傳説が一部の人たちに信じ込まれてゐた樣子で、たいへん評判がわるかつた。當選などは、思ひも寄らぬことで、家内にも、また家内の實家の人たちにも、「こんど、國民新聞で短篇小説のコンクールがあつて、私も書くのだが、まあ、おしまひから二、三番のところ、と思つてゐて下さい。いいえ、ほんたうに、さうなんです。」と何かの機會に、さう言つて、笑つたことがあるけれども、そのとき、家内の母は、ひとり笑はず、正直に淋しさうな顔をして見せて、私はそれに氣がつき、おそろしく、しよげてしまつたことがある。

(二) 四人のひとを尊敬する

 四月廿二日の朝、私は、こんど出版する豫定の「愛と美について」といふ書き卸し短篇集の校正刷を、床の中で受け取つた。その校正刷と一緒に、速達のハガキが來てゐて、それには、上林氏と太宰とが、コンクールに當…

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