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古代之少女
こだいのしょうじょ
作品ID52381
著者伊藤 左千夫
文字遣い旧字旧仮名
底本 「左千夫全集 第三卷」 岩波書店
1977(昭和52)年2月10日
初出「臺灣愛國婦人 第二十三~二十九卷」1910(明治43)年10月15日~1911(明治44)年4月1日
入力者H.YAM
校正者高瀬竜一
公開 / 更新2014-03-19 / 2014-09-16
長さの目安約 72 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 かこひ内の、砂地の桑畑は、其畝々に溜つてる桑の落葉が未だ落ちた許りに黄に潤うて居るのである。俄に寒さを増した初冬の趣は、一層物思ひある人の眼をひく。
 南から東へ「カネ」の手に結ひ廻した垣根は、一風變つた南天の生垣だ。赤い實の房が十房も二十房も、いづれも同じ樣に垂れかゝつて居る。霜が來てから新たに色を加へた、鮮かな色は、傾きかけた日の光を受けて、赤い色が愈赤い。
 門と云ふ程の構では無い。かど口の兩側に榛の古木が一本づゝ、門柱形に立つてる許りだ。とうに落葉し盡した榛の枝には、殻になつた煤色の實が點々として其された枝々について居る。朽ちほうけた七五三飾の繩ばかりなのが、其對立してる二本の榛に引きはへてある。それが兎に角に此の家の門構になつて居る。
 はたと風は凪いで、青々と澄んでる空にそよとの動きも無い。家[#挿絵]の一族も今は塒に入らん心構へ、萱の軒近くへ寄りたかつて居る。家の人々は未だ野らから歸らぬと見えて、稻屋母屋雪隱の三棟から成立つた、小さな家が殊に寂然として靜かだ。
 表の戸も明いて居り庭の半面には、猶、籾が干されてあるに、留守居の人も居ないのかと見れば、やがてうら若い一人の娘子が、眞白き腕をあらはに、鬱金の襷を背に振り掛けながら、土間の入口へ現はれた。麻の袷に青衿つけた、極めて質素な、掻垂れ髮を項じのほとりに束ね、裾短かに素足を蹈んで立つた、帶と襷とに聊か飾りの色を見る許りな、田舍少女ではあれど、殆ど竝みの女を超絶して居る此人には飾りもつくりもいらぬらしい。
 手古奈の風姿は、胸から頬から、顏かたち總ての點が、只光るとでも云ふの外に、形容し得る詞は無いのである。豐かに鮮かな皮膚の色ざし、其眼もとに口もとに、何となく尊とい靈氣を湛へて居る、手古奈の美しさは、意味の乏しい、含蓄の少ない淺薄な美麗では無い。どうしても尊い美しさと云ふの外に、適當らしい詞は無いのだ。春花の笑み咲くとか、紅玉の丹づらふ色とか云うても、手古奈を歌ふには餘りに平凡である。
 夕日が背戸山の梢を漏れて、庭の一部分に濃厚の光を走らせ、爲にあたりが又一際明くなつた。手古奈は美しい姿を風能く動かして籾の始末に忙しい。籾の始末と留守居を兼て、今日は手古奈が獨り家に殘つたのであらう。今は日の傾くまゝにおり立つて籾の始末にかゝつたのである。
 寂寞たる初冬の淋しさ、あたりには人聲も無く、塒に集つた[#挿絵]さへ、其運動が靜かである。手古奈も周圍から受ける自然の刺撃で、淡々しい少女の心にも、近頃覺えた考事を又しても考へない訣にゆかなかつた。そんな事がと我と我が考へを打消しながら、後から又考の自のづと湧いて來るを止め得ないのだ。
 自分は勿論の事、兩親も兄弟も誰一人さうと氣づいた者も無いけれど、手古奈は物考へする樣になつてから、其美しさは一層増して來た。女は大人になつて好くなる人と惡くなる…

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