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宮本武蔵
みやもとむさし
作品ID52396
副題02 地の巻
02 ちのまき
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本武蔵(一)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年11月11日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-02-13 / 2014-09-16
長さの目安約 190 ページ(500字/頁で計算)

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本文より






 ――どうなるものか、この天地の大きな動きが。
 もう人間の個々の振舞いなどは、秋かぜの中の一片の木の葉でしかない。なるようになッてしまえ。
 武蔵は、そう思った。
 屍と屍のあいだにあって、彼も一個の屍かのように横たわったまま、そう観念していたのである。
「――今、動いてみたッて、仕方がない」
 けれど、実は、体力そのものが、もうどうにも動けなかったのである。武蔵自身は、気づいていないらしいが、体のどこかに、二つ三つ、銃弾が入っているに違いなかった。
 ゆうべ。――もっと詳しくいえば、慶長五年の九月十四日の夜半から明け方にかけて、この関ヶ原地方へ、土砂ぶりに大雨を落した空は、今日の午すぎになっても、まだ低い密雲を解かなかった。そして伊吹山の背や、美濃の連山を去来するその黒い迷雲から時々、サアーッと四里四方にもわたる白雨が激戦の跡を洗ってゆく。
 その雨は、武蔵の顔にも、そばの死骸にも、ばしゃばしゃと落ちた。武蔵は、鯉のように口を開いて、鼻ばしらから垂れる雨を舌へ吸いこんだ。
 ――末期の水だ。
 痺れた頭のしんで、かすかに、そんな気もする。
 戦いは、味方の敗けと決まった。金吾中納言秀秋が敵に内応して、東軍とともに、味方の石田三成をはじめ、浮田、島津、小西などの陣へ、逆さに戈を向けて来た一転機からの総くずれであった。たった半日で、天下の持主は定まったといえる。同時に、何十万という同胞の運命が、眼に見えず、刻々とこの戦場から、子々孫々までの宿命を作られてゆくのであろう。
「俺も、……」
 と、武蔵は思った。故郷に残してある一人の姉や、村の年老などのことをふと瞼に泛べたのである。どうしてであろう、悲しくもなんともない。死とは、こんなものだろうかと疑った。だが、その時、そこから十歩ほど離れた所の味方の死骸の中から、一つの死骸と見えたものが、ふいに、首をあげて、
「武やアん!」
 と、呼んだので、彼の眼は、仮死から覚めたように見まわした。
 槍一本かついだきりで、同じ村を飛び出し、同じ主人の軍隊に従いて、お互いが若い功名心に燃え合いながら、この戦場へ共に来て戦っていた友達の又八なのである。
 その又八も十七歳、武蔵も十七歳であった。
「おうっ。又やんか」
 答えると、雨の中で、
「武やん生きてるか」
 と、彼方で訊く。
 武蔵は精いッぱいな声でどなった。
「生きてるとも、死んでたまるか。又やんも、死ぬなよ、犬死するなっ」
「くそ、死ぬものか」
 友の側へ、又八は、やがて懸命に這って来た。そして、武蔵の手をつかんで、
「逃げよう」
 と、いきなりいった。
 すると武蔵は、その手を、反対に引っぱり寄せて、叱るように、
「――死んでろっ、死んでろっ、まだ、あぶない」
 その言葉が終らないうちであった。二人の枕としている大地が、釜のように鳴り出した。真っ黒な…

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