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宮本武蔵
みやもとむさし
作品ID52400
副題06 空の巻
06 そらのまき
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「宮本武蔵(五)」 吉川英治歴史時代文庫18、講談社
1989(平成元)年12月11日
「宮本武蔵(六)」 吉川英治歴史時代文庫19、講談社
1990(平成2)年1月11日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-02-25 / 2014-09-16
長さの目安約 471 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

普賢




 木曾路へはいると、随所にまだ雪が見られる。
 峠の凹みから、薙刀なりに走っている白い閃きは、駒ヶ岳の雪のヒダであり、仄紅い木々の芽を透かして彼方に見える白い斑のものは、御岳の肌だった。
 だがもう畑や往来には、浅い緑がこぼれている。季節は今、なんでも育つ盛りなのだ。踏んづけても踏んづけても、若い草は伸びずにいない。
 まして城太郎の胃ぶくろと来ては、いよいよ、育つ権利を主張する。この頃殊に、髪の毛が伸びるように、背の寸法までが伸びそうに見えて、将来の大人ぶりも思いやられる風がある。
 もの心つくと、世間の波へ抛り出されて、拾われた手はまた、流転の人であった。勢い、旅から旅の苦労を舐め、どうしてもおませになるべく環境が迎えてくるので仕方がないが、近頃、時々あらわす生意気さ加減には、お通もよく泣かされて、
(なんだってこんな子に、こう馴つかれてしまったのかしら)
 と、ため息ついて、睨んでやることもある。
 しかし効き目のあろうわけはない。城太郎は知り抜いているのだ。そんな怖い顔したって、心のなかでは、おいらが可愛くてならないくせに――と。
 そういう横着と、今の季節と、飽くことを知らない胃ぶくろが、行く先々、食べ物とさえ見れば、
「よう、よう、お通さんてば。あれ買っておくれよ」
 と、彼の足を、往来へ釘づけにしてしまう。
 先ほど、通りこえた須原の宿には、木曾将軍の四天王、今井兼平の砦の址があるところから「兼平せんべい」を軒並み売っていたため、とうとうそこでは、お通が根負けして、
「これだけですよ」
 念を押して、買って与えたが、半里と歩かない間に、それもぼりぼり食べ終ってしまい、ややともすると、なにか物欲しそうな顔をする。
 寝覚では、宿場茶屋の端をかりて、早目な昼めしを喰べたので、事なく済んだが、やがて一峠越えて、上松のあたりへかかると、
「お通さん、お通さん。干し柿が下がっているぜ。干し柿喰べたくないかい?」
 そろそろ謎をかけ始める。
 牛の背に乗って、牛の顔のように、お通が聞えない振りをしているので、空しく、干し柿は見過ごしてしまったが、程なく木曾第一の殷賑な地、信濃福島の町中へさしかかると、折から陽も八刻頃だし、腹も減り頃なので、
「休もうよ、そこらで――」
 と、また始め出した。
「ね、ね」
 こう鼻で捏ね出すと、駄々に粘りが出るばかりで、歩けばこそ、テコでも動く顔つきではない。
「よう、ようっ。黄粉餅たべようよう。……嫌かい?」
 こうなっては一体、ねだっているのか、お通を脅迫しているのか、分らない。彼女の乗っている牛の手綱は、城太郎の手に曳かれているため、彼の歩き出さぬうちは、どう焦々思っても、黄粉餅屋の軒先を、通り越えることができないからである。
「いい加減におしなさい」
 遂に、お通も意地になってしまう。城太郎と共謀して…

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