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鳴門秘帖
なるとひちょう
作品ID52403
副題01 上方の巻
01 かみがたのまき
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「鳴門秘帖(一)」 吉川英治歴史時代文庫2、講談社
1989(平成元)年9月11日
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-04-06 / 2014-09-16
長さの目安約 251 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

夜魔昼魔

 安治川尻に浪が立つのか、寝しずまった町の上を、しきりに夜鳥が越えて行く。
 びッくりさせる、不粋なやつ、ギャーッという五位鷺の声も時々、――妙に陰気で、うすら寒い空梅雨の晩なのである。
 起きているのはここ一軒。青いものがこんもりした町角で、横一窓の油障子に、ボウと黄色い明りが洩れていて、サヤサヤと縞目を描いている柳の糸。軒には、「堀川会所」とした三尺札が下がっていた。
 と、中から、その戸を開けて踏み出しながら――
「辻斬りが多い、気をつけろよ」
 見廻り四、五人と町役人、西奉行所の提灯を先にして、ヒタヒタと向うの辻へ消えてしまった。
 あとは時折、切れの悪い咳払いが中からするほか、いよいよ世間森としきった時分。
「今晩は」
 会所の前に佇んだ二人の影がある。どっちも、露除けの笠に素草鞋、合羽の裾から一本落しの鐺をのぞかせ、及び腰で戸をコツコツとやりながら、
「ええ、ちょっとものを伺いますが……」
「誰だい」と、すぐ内から返辞があった。
「ありがてえ、起きていますぜ」
 後ろの連れへささやいて、ガラリと仕切りを開ける。中は、土間二坪に床が三畳、町印の提灯箱やら、六尺棒、帳簿、世帯道具の類まであって、一人のおやじが寂然と構えている。
「何だえ、今ごろに」
 錫の酒瓶を机にのせて、寝酒を舐めていた会所守の久六は、入ってきたのをジロリと眺めて、
「旅の人だね」
「へい、実は淀の仕舞船で、木村堤へ着いたは四刻頃でしたが、忘れ物をしたために、問屋で思わぬ暇を潰しましたんで」
「ははあ、そこで何かい、どこの旅籠でも泊めてくれないという苦情だろう」
「自身番の証札を見せろとか、四刻客はお断りですとか、今日、大阪入りの初ッぱなから、木戸を突かれ通しじゃございませんか」
「当り前だ、町掟も心得なしに」
「叱言を伺いに来た訳じゃござんせん。恐れいりますが、その宿札と、事のついでに、お心当りの旅籠を一つ……」
「いいとも、宿をさしても上げるが……」と久六、少し役目の形になって、二人の風態を見直した。
「一応聞きますが、お住居は?」
「江戸浅草の今戸で、こちらは親分の唐草銀五郎、わっしは待乳の多市という乾分で」
「ああ、博奕打ちだな」
「どう致しまして、立派な渡世看板があります。大名屋敷で使う唐草瓦の窯元で、自然、部屋の者も多いところから、半分はまアそのほうにゃ違いありませんが」
「何をいってるんだ」側から、銀五郎が押し退けて、多市に代った。
「しゃべらせておくと、きりのねえ奴で恐れ入ります。殊には夜中、とんだお手数を」
「イヤ、どう致して」見ると、若いが地味づくりの男、落ちつきもあるし人品も立派だ。
「そこで、も一ツ、行く先だけを伺いましょう」
 久六も、グッと丁寧に改まる。
「的は四国、阿波の御領へ渡ります」
「阿波へ? フーン」少しむずかしい顔をして、
「蜂須…

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