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鳴門秘帖
なるとひちょう
作品ID52404
副題02 江戸の巻
02 えどのまき
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「鳴門秘帖(一)」 吉川英治歴史時代文庫2、講談社
1989(平成元)年9月11日
「鳴門秘帖(二)」 吉川英治歴史時代文庫3、講談社
1989(平成元)年9月11日
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-04-09 / 2014-09-16
長さの目安約 285 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

お千絵様

 みぞれ模様の冬空になった。明和二年のその年も十一月の中旬を過ぎて。
 ここは江戸表――お茶の水の南添いに起伏している駿河台の丘。日ごとに葉をもがれてゆく裸木は、女が抜毛を傷むように、寒々と風に泣いている。
 虱しぼりの半手拭を月代に掛けて、継の当った千種の股引を穿き、背中へ鉄砲笊をかついだ男が、
「屑ウーイ。屑ウーイ」
 馴れない声で、鈴木町の裏を流していた。
「エエ寒い。こいつが関東の空ッ風か……」
 と、胴ぶるいをした屑屋の肩へ、パラパラと落葉の雨が舞いかかった。
「寒いのはとにかくだが、さっぱり呼んでくれねえのは心細い。せめてこの近所に馴染ができれば、ちッたあ様子も聞かれるだろうと思うが……なにしろすること、なすことはずれてきやがる。考えてみると俺は三十六、今年は大厄だったんだなア」
 愚痴をこぼしてフラフラと一、二町、うつむいたまま歩いて来ると、頭の上の窓口から、
「屑屋さん」
 と、女の声で呼び込まれた。
 呼ばれたので急に思い出したように、
「屑ウーイ」と、商売声を出したから、呼んだ女もおかしくなれば、屑屋も自分ながらてれ臭そうにあおむいた。
「屑屋でございますが……」と、もう一度、窓に見える女の顔へ頭を下げると、
「あッちへ廻って下さいな」
「へ、お勝手口へ?」
「そこに潜り戸があるだろう」
「ございます、ございます」ガラリと開けた水口の戸も開けっ放しに、鉄砲笊と一緒に入り込んだ。
「たいそうお寒うございますな」
「縁側のほうへお廻りよ、少しばかり古反古を払いますから」
 打ち見たところ、五人扶持ぐらいな御小人の住居でもあろうか。勝手つづきの庭も手狭で、気のよさそうな木綿着の御新造が払い物を出してきた。
 煙草の火を借りて話し込んだ屑屋、さっきからこの界隈の噂ばなしをしきりに聞きたがって、
「時に御新造様……、この駿河台にある甲賀組というのは、たしか、この前の囲いの中にある、真っ黒なお屋敷のことじゃございませんでしたか」
「そうだよ、墨屋敷といってね、二十七家の隠密役の方ばかりが、この一つ所にお住まいになっている」
「二十七軒もありますか。フーム、ずいぶん広いものでございますなア」とわざとらしく感心して、ちょっと相手の容子をみたが、その眸の底に鋭い光が潜んでいた。
「申しちゃ失礼でございますが、隠密役なんていう方は、平常は何の御用もねえでしょうに、これだけの家筋をそれぞれ立てておく将軍様の世帯も、大きなもんじゃありませんか」
「だからだんだんとその家筋を、お上でも減らすようにしているという話だね」
「そうでしょう。権現様の時代には、戦もあれば敵も多い、そこで自然と甲賀組だの伊賀者だのも、大勢お召し抱えになる必要がありましたろうが、今じゃ天下泰平だ。なんとか口実をつけて減らす算段もするでしょうさ」
「現にツイ先頃も、また一軒のお古い…

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