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三国志
さんごくし
副題02 桃園の巻
02 とうえんのまき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「三国志(一)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-09-09 / 2014-09-16
長さの目安約 318 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

黄巾賊




 後漢の建寧元年のころ。
 今から約千七百八十年ほど前のことである。
 一人の旅人があった。
 腰に、一剣を佩いているほか、身なりはいたって見すぼらしいが、眉は秀で、唇は紅く、とりわけ聡明そうな眸や、豊かな頬をしていて、つねにどこかに微笑をふくみ、総じて賤しげな容子がなかった。
 年の頃は二十四、五。
 草むらの中に、ぽつねんと坐って、膝をかかえこんでいた。
 悠久と水は行く――
 微風は爽やかに鬢をなでる。
 涼秋の八月だ。
 そしてそこは、黄河の畔の――黄土層の低い断り岸であった。
「おーい」
 誰か河でよんだ。
「――そこの若い者ウ。なにを見ているんだい。いくら待っていても、そこは渡し舟の着く所じゃないぞ」
 小さな漁船から漁夫がいうのだった。
 青年は笑くぼを送って、
「ありがとう」と、少し頭を下げた。
 漁船は、下流へ流れ去った。けれど青年は、同じ所に、同じ姿をしていた。膝をかかえて坐ったまま遠心的な眼をうごかさなかった。
「おい、おい、旅の者」
 こんどは、後ろを通った人間が呼びかけた。近村の百姓であろう。ひとりは鶏の足をつかんでさげ、ひとりは農具をかついでいた。
「――そんな所で、今朝からなにを待っているんだね。このごろは、黄巾賊とかいう悪徒が立ち廻るからな。役人衆に怪しまれるぞよ」
 青年は、振りかえって、
「はい、どうも」
 おとなしい会釈をかえした。
 けれどなお、腰を上げようとはしなかった。
 そして、幾千万年も、こうして流れているのかと思われる黄河の水を、飽かずに眺めていた。
(――どうしてこの河の水は、こんなに黄色いのか?)
 汀の水を、仔細に見ると、それは水その物が黄色いのではなく、砥石を粉にくだいたような黄色い沙の微粒が、水に混じっていちめんにおどっているため、濁って見えるのであった。
「ああ……、この土も」
 青年は、大地の土を、一つかみ掌に掬った。そして眼を――はるか西北の空へじっと放った。
 支那の大地を作ったのも、黄河の水を黄色くしたのも、みなこの沙の微粒である。そしてこの沙は中央亜細亜の沙漠から吹いてきた物である。まだ人類の生活も始まらなかった何万年も前の大昔から――不断に吹き送られて、積り積った大地である。この広い黄土と黄河の流れであった。
「わたしのご先祖も、この河を下って……」
 彼は、自分の体に今、脈うっている血液がどこからきたか、その遠い根元までを想像していた。
 支那を拓いた漢民族も、その沙の来る亜細亜の山岳を越えてきた。そして黄河の流れに添いつつ次第にふえ、苗族という未開人を追って、農業を拓き、産業を興し、ここに何千年の文化を植えてきたものだった。
「ご先祖さま、みていて下さいまし。いやこの劉備を、鞭打って下さい。劉備はきっと、漢の民を興します。漢民族の血と平和を守ります」
 天へ向って…

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