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三国志
さんごくし
作品ID52413
副題05 臣道の巻
05 しんどうのまき
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「三国志(三)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1989(平成元)年4月11日
入力者門田裕志
校正者仙酔ゑびす
公開 / 更新2013-09-21 / 2022-06-09
長さの目安約 325 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

煩悩攻防戦




 呂布は、櫓に現れて、
「われを呼ぶは何者か」と、わざと云った。
 泗水の流れを隔てて、曹操の声は水にこだまして聞えてきた。
「君を呼ぶ者は君の好き敵である許都の丞相曹操だ。――しかし、君と我と、本来なんの仇があろう。予はただご辺が袁術と婚姻を結ぶと聞いて、攻め下ってきたまでである。なぜならば、袁術は皇帝を僭称して、天下をみだす叛逆の賊である。かくれもない天下の敵である」
「…………」
 呂布は、沈黙していた。
 河水をわたる風は白く、蕭々と鳴るは蘆荻、翩々とはためくは両陣の旌旗。――その間一すじの矢も飛ばなかった。
「予は信じる。君は正邪の見極めもつかないほど愚かな将軍ではないことを。――今もし戈を伏せて、この曹操に従うならば、予は予の命を賭しても、天子に奏して君の封土と名誉とを必ず確保しておみせしよう」
「…………」
「それに反し、この際、迷妄にとらわれて降らず、君の城郭もあえなく陥落する日となっては、もう何事も遅い、君の一族妻子も、一人として生くることは、不可能だろう。のみならず、百世の後まで、悪名を泗水に流すにきまっている。よくよく賢慮し給え」
 呂布は動かされた。それまで黙然と聞いていたが、やにわに手を振り上げ、
「丞相丞相。しばらくの間、呂布に時刻の猶予をかし給え。城中の者とよく商議して、降使をつかわすことにするから」
 傍にいた陳宮は、意外な呂布の返辞に愕然として跳び上がり、
「な、なにをばかなことを仰っしゃるかっ」
 と、主君の口をふさぐように、突然、横あいから大音声で曹操へ云い返した。
「やよ曹賊。汝は、若年の頃から口先で人をだます達人だが、この陳宮がおる以上、わが主君だけは欺かれんぞ。この寒風に面皮をさらして、無用の舌の根をうごかさずと、早々退散しろ」
 言葉の終った刹那、陳宮の手に引きしぼられていた弓がぷんと弦鳴りを放ち、矢は曹操の[#挿絵]の眉庇にあたってはね折れた。
 曹操は、くわっと眦をあげて、
「陳宮ッ、忘るるな、誓って汝の首を、予の土足に踏んで、今の答えをなすぞ」
 そして左右の二十騎に向って、即時、総攻撃にうつれと峻烈に命じた。
 櫓の上から呂布はあわてて、
「待ちたまえ、曹丞相。今の放言は、陳宮の一存で、此方の心ではない。それがしは必ず商議の上、城を出て降るであろう」
 陳宮は、弓を投げつけて、ほとんど喧嘩面になって云った。
「この期になって、なんたる弱音をはき給うことか。曹操の人間はご存じであろうに。――今、彼の甘言にたばかられて、降伏したが最後、二度とこの首はつながりませんぞ」
「だまれっ、やかましいっ。汝一存を以てなにを吠ゆるか」
 呂布も躍起となって、云い争い、果ては剣に手をかけて、陳宮を成敗せんと息巻いた。
 敵の目からも見ゆる櫓のうえである。主従の喧嘩は醜態だ。高順や張遼たちは、見るに見か…

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