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私本太平記
しほんたいへいき
作品ID52427
副題07 千早帖
07 ちはやじょう
著者吉川 英治
文字遣い新字新仮名
底本 「私本太平記(四)」 吉川英治歴史時代文庫、講談社
1990(平成2)年3月11日第1刷
入力者門田裕志
校正者トレンドイースト
公開 / 更新2013-01-17 / 2014-09-16
長さの目安約 248 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

勝負の壇

 正成は弓杖をつき、すこし跛をひいていた。
 もっとも、千早の城兵はいま、五体満足なのはほとんど少ない。将たちもみなどこかには、怪我か手傷を負ッていた。
 でなければ病人である。
「……が、了現」
 いま、その病棟を見舞って出てきた正成は、うしろの、安間了現をふりむいて、
「意外にみな元気だな。山上にもやっと木の芽や草が萌えてきたし、もう病人に与える青い食物にも事欠くまい」
 と、梢の色や地の力を見まわして、それも味方と恃むように言った。
「はい。士気は病者といえあの通りさかんなものです。けれど貯備の食糧がそろそろ底をつきかけておりまするで」
「穀類か、まず」
「稗、粟、米、どれもいくらの余裕もありませぬが、わけて塩倉の塩もはや……」
「調べたのか」
「は」
 と、了現はさっそく、ふところ覚えを、よろいの袖から取り出して、およその数量を正成へ[#挿絵]いていた。ここでの、孤立持久の籠城は、正成がはじめから一貫してきた方針である。
 その方針を破ッて、当初、天王寺、堺あたりまで少数の兵でしばしばムリな奇襲を敢行したのも、敵の首があてではなく、塩、粟、干魚、海草などを帰りに運んでくるのが主要な作戦目的であったのだ。
 もちろん、それいぜんから、山上にはあらゆる貯備に努めてはいた。
 焼米、道明寺糒。
 河内名物のドロ芋。
 その茎を干したずいき。
 また梅漬け、干柿、栗、およそ保存にたえるものは、なんでも糧倉へみたしていたが、しかし城兵一日の糧を、かりに米六合とみれば、千人で日に六石、古法の三斗五升俵にして十七俵強の容積である。それに副食物を加えた物が夜さえ明ければなくなってゆくわけだ。
 もちろん合戦のすきにも、葛城の尾根や、間道をたどって、外部から蟻が穴へ持ち込むようなことはしつづけていたが、山伏の背や、忍び隊の搬入などは、およそたかのしれた量でしかない。――安間了現が、ふところ覚えを繰るたび眉をくもらすのは当然だった。
「……む。……むむ。……だいぶ乏しくなって来たな。だがこれからは木の芽も食える、草も食える。虫、鳥、獣、何でも食おう。そして一日ここの籠城をささえれば、一日の勝ちだ。十日持てば十日の勝ちとしてよかろう。もしあと百日保てば、おそらく北条勢の寄手のうちに、大きな自壊がおこるに相違ない」
 正成は言った。
 けれど正成のこの言も、いささか安間了現には聞き馴れていて、いまとなっては、鼓舞をおぼえないばかりでなく「……またおなじ仰せ言か」と、心ぼそくさえなってくる。
「お、正季だな」
 そのとき、正成は立ちどまって、千早谷の下で雄叫びする谷こだまをふとのぞきこんだ。
 正成は不きげんになった。
「了現。あれはまたぞろ正季が、無断で敵へ突いて出た武者声であるまいか」
「さようかもしれませぬ」
「こまッたものだ」
 と、舌うちして、
「たれか…

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